私事で恐縮だが 私の 三女 京子の長女 水稀(初孫)が 今週4月1日(火)から 猿投中学校に就職した
12月だったか 1月頃だったかに 愛知県の 中学校の 数学の教師となることは 本人から聞いていたが 県内とはいえ 相当の奥地もあるので そんなに遠方とはならず 猿投中学校 と聞いて 一安心した
私も 猿投とは縁があり NTT 時代 猿投営業所長として 2年間勤めた地である
本人は 教育大学に行っていたのだが 卒業の少し前に もう少し勉強してみたい と言って 修士課程 に進んだので 既に24歳である
24歳といえば 私の妻であった 雪美は 自分と同じ戌年の長女を 産んでいた
3人娘の内では 一番勉強の嫌いな 三女 京子の子が 勉強が好きだ というのだから これも不思議なものだ
しかも 我が家 では珍しく 理系である
尤も 広く考えれば 私と教員とは縁が深く 母方の 祖父は 教員をしていたし 母も一時は 代用 教員をしていた
妻の 実父は 何期も 校長を務め 豊田市と合併前の 高岡町の教育長もしていたし 妻の4人の 兄の内 2人は教員であった
本人に そんな話をしたところ 本人は 何を考えたのか 校長にはなりたくないと 言う
それでは 何がやりたいのかと聞いたところ 学習塾を経営したいと 自分の考えを述べた
進路は 本人が決めれば良いことであるので それについては 私が口を出すべきことではないが 少しでも多くの生徒に 良い影響を与える教師になってほしい旨は伝えた
これについては 本人も 同じ考えを持っており そのように 努力をすると言ってくれた
私は 各過程で 素晴らしい先生に恵まれたので その思いが強い
小学校では 愛知 錬二 先生 中学校では 野沢 昌樹 先生 高等学校では 中村 守 先生 大学では ゼミの 黒木 三郎 教授 である
おまけに 社会人になってからも 刈谷高校の校長などをしてみえた 加藤 盛久先生に お世話になっているのである
不思議なことに この先生は 母に紹介を受けたのであるが 戦死した父が お世話になった先生であるのだから 奇遇である
電車の中でお会いすることもあったが セックスは楽しいが 耽ってはいけない とか めげる ようなことがあっても 腐らず 大きな気持ちで その分 長生きを しようと思えば 人生何のことはないと なかなか 常識人では言えないような ご指導を受けた
縁とは 不思議なもので 先生の娘さん (T.T) は 刈谷高校で 妻と同級生であった
妻は 変なところで 行動力があり 彼女の夫は日銀のロンドン支店に居たこともある転勤族であったが 彼女が東京にいる時に 突然出かけて 行って 3 〜4日泊めてもらったこともある
盛久先生が 公務員 を退職後 東海高校に再就職され 短期大学部に異動後 私を通して 私の妻に 音楽を担当してくれないかとの電話があったこともあるのだから 人の縁はどこでどう繋がるか分からない
大学時代 約4年間 苦しい中 学資支援を続けてきた初孫が 健康に恵まれ 不慮の事故に遭わないことを切に願う
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