早いもので予定の仕事が完了しない内に大晦日になってしまった。今年は概して多忙で、毎年、遅くとも秋には定期検診に行っていたのだが、それができず、過日、来月6日(火)の予約を入れた。今年中に草案を完成したかった消滅時効問題の異議申し立て関連書類も今現在3件作成中でお客様にはご迷惑をお掛けしている。
異議申立て事件は、裁判とは違い、原則として1回で審査庁に理解してもらわなければならないという別の難しさがある。私は、この問題は、単純なもので、このブログにも2度ほど、「コロンブスの玉子」と書いたが、司法の専門家である裁判官の間でも、正反対の結論になるのだから、この問題は、そんなに単純なものではないらしい。
これに関しては、私の主張も日々進化しているので、今回作成中の3件については、主張の構成を全面的に見直している。従って、通常でも結構な時間を要するところ、少し余分にかかっている。お客様には経過報告もせず、さぞご心配をお掛けしていることと思うが、大目に見ていただきたくお願いするところである。
この1年、私にとっては、佳い年であったと評価できる。消滅時効問題については、正月早々、日本法令から、突然、年金相談第6号への執筆依頼が入り、結果、4月23日(水)発売で9頁物を世に出すことができ、私の考えていることの7〜8割は表現できたと思っている。4月には、名南経営の名古屋社労士探究会において講師を務め、7月には愛知県社会保険労務士政治連盟主催の異例の勉強会の講師を務めることができた。そして、5月19日(月)には、待ちに待った最高裁の支持判断である。
私が直接手掛けている異議申立て等とは別に、全国各地で、私と同じような考え方をお持ちの弁護士の先生のご協力の下、受給権者の本来の権利の奪還を目指し争っているが、概ね順調に推移している。
地元の名古屋地裁では、先週紹介したように、12月18日(木)に、従来の考え方へのぶり返しのような判断が出されてしまったが、これは、障害者ご本人による本人訴訟であり、支援者の意向が裁判官に伝わらず、十分議論が尽くされていない内に、突然結審を宣告された事件で、それはそれとして受け入れ、控訴審での逆転を図るより仕方ないことと思っている。ご本人ご両親ともに控訴の意向であり、私も委任予定の代理人弁護士の先生と十分な検討をして逆転に貢献したく思っている。
このブログについても、ある程度リピート客が定着し、時々コメントをいただいたり、ご丁寧なお手紙等をいただき感謝している。
私生活関連では、次女の家族との同居方針が決まり、母屋の屋上に長年待望の増築が11月中旬に完成した。これが執務室になるとは当初予定していなかったが、色々な情勢の変化で止むを得ないことだ。たった一部屋の増築だが、2階のベランダからの外付け階段を家の中からの階段に替えただけで、陸屋根の屋上のスペースの利用価値が格段に上がった。
IT関連では、約2年前に携帯からスマホに替えたのだが、概ね使いこなせるようになって、良い時期に替えれたと満足している。簡単なものは、メールのスマホからの返信ができるようになったし、ドロップボックスを利用したデータの共有や、インターネットを利用した簡易検索等ずいぶん便利になった。タイミングの良さと偶然の人との出会いに感謝している。そして、増築を機に、インターネット回線等全てを光に替えたため、スピードは勿論、メールの添付可能容量が大幅に増しこれも大満足である。
これらが適ったのも、全て人との出会いが本である。仕事やブログを通して、多くの人と知己を得て、中には、同じ考え方で協力し合える弁護士の先生や社労士の先生方にも出会えた。
読者の方々に感謝すると共に、皆様にとって、来年も佳い年であることを祈念している。ブログへのご来訪ありがとうございました。
2014年12月31日
1年を振り返って
posted by 326261(身にロクに無い:身に付いていない:電話番号!!) at 12:58| Comment(0)
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2014年07月19日
私のサービスを振り返って 自画自賛
私の社労士業経歴も、今年の9月が過ぎると3年になる。今までは、新米社労士と名乗っていたが、3年を過ぎたら新米とは言っておられない。私の近くでも、私より後から始めたお若い社労士が相当の活躍をしてみえるので、人生の先輩として負けてはおれない。良い刺激とさせていただいている。
幸いにも、この2年10カ月、色々な分野で良い経験をさせていただいた。失敗もあるが、途中での失敗で、補充可能な時期での失敗だから、反って糧になっている。私を信頼して仕事を任せてくださった方がいて成り立つことゆえ、有難いことである。
私の場合、今までのお客様は、親戚の会社経営者、及びネットからのお客様がほとんどである。親戚関係では、私のサービスについて本当のところは聴けないかもしれない。しかし、ネットからのお客様の反応をみておれば、自分のサービスに対する満足度がどの程度であったのかが概ねは把握できる。その評価結果は、今のところ、多くのお客様には、ご満足頂いているというものだ。なぜ、そのような評価になるのかと言うと、直接の依頼者であるお客様が、その方の配偶者や、親子、親戚の方の事件を依頼してくださるからだ。また、多くの感謝の言葉や激励をいただいている。勿論、仕事の委任(受任)契約を代理で結ぶ訳にはいかないので、ご説明後委任契約書を結ぶのだが、事前説明を受けてみえるので、私は非常に楽をさせていただいている。
私が親しくさせていただいている社労士の先生のほとんどは、昼間はお客様対応で外での仕事が多いようである。私は、ネットを利用しての仕事が多いので、車で駆け回ることは少ない。これも偶然だが、齢を考えると、うまい組み合わせになったものだと感謝している。
しかし、逆に考えると、私の手掛けている内容は、実は多くの需要がある筈だが、私は、ネットと無関係のお客様をフォローできていないことになる。そして、そのような方の方が、圧倒的に多いのである。その方達は、最後まで潜在需要のままで終わってしまうこととなる。
今ここで、話を絞って述べた内容は、主に障害年金の裁定請求とこれに係る不服申立てと支分権消滅時効問題になるが、後者については、国は、一刻も早く、保険者の窓口で、お客様に真面に説明できる内容に修正していただきたいと思っている。
昨日は、ある東京の弁護士が、名古屋高裁の私の事件と、これと正反対の結論となっている東京地裁、及びこれを支持した東京高裁の考え方についてご自分のブログで解説してみえる記事を拝見した。この方は、私の主張している、障害年金の支分権については、「停止条件付債権的債権」である旨の考え方に同調していただいている表現が見られ、最高裁の判断を注目していく旨の内容で終っている。
まだ、最高裁が結論を出したことにはお気付きでないかもしれないが、受給権者に説明もできないような運用には改善を要する旨お考えであることは、まだお話をしたことが無くても伝わってくる。
この先生は、結果両極端な判断に対して、名古屋高裁の判断と東京高裁の判断とを比較され、どちらの判断が正しいかと自問され、私見では前者を正しい判断とされている。しかし、私に言わせれば、この東京の事件の原告(控訴人)の主張内容に問題があるということになる。裁判官が、「なるほど」と納得するまでの主張の展開をしていない可能性が高い。
私達士業は、説得力の優劣でサービスを評価される側面を否めない。自画自賛になるが、この面では、ここ2年間ほどの間は相当の力を発揮できて来たものと自己満足している。今後も怠りなく反省を重ね、満足いただけるサービスを提供し続けたい。詰まり、良い後継者を早く見付けたい。
幸いにも、この2年10カ月、色々な分野で良い経験をさせていただいた。失敗もあるが、途中での失敗で、補充可能な時期での失敗だから、反って糧になっている。私を信頼して仕事を任せてくださった方がいて成り立つことゆえ、有難いことである。
私の場合、今までのお客様は、親戚の会社経営者、及びネットからのお客様がほとんどである。親戚関係では、私のサービスについて本当のところは聴けないかもしれない。しかし、ネットからのお客様の反応をみておれば、自分のサービスに対する満足度がどの程度であったのかが概ねは把握できる。その評価結果は、今のところ、多くのお客様には、ご満足頂いているというものだ。なぜ、そのような評価になるのかと言うと、直接の依頼者であるお客様が、その方の配偶者や、親子、親戚の方の事件を依頼してくださるからだ。また、多くの感謝の言葉や激励をいただいている。勿論、仕事の委任(受任)契約を代理で結ぶ訳にはいかないので、ご説明後委任契約書を結ぶのだが、事前説明を受けてみえるので、私は非常に楽をさせていただいている。
私が親しくさせていただいている社労士の先生のほとんどは、昼間はお客様対応で外での仕事が多いようである。私は、ネットを利用しての仕事が多いので、車で駆け回ることは少ない。これも偶然だが、齢を考えると、うまい組み合わせになったものだと感謝している。
しかし、逆に考えると、私の手掛けている内容は、実は多くの需要がある筈だが、私は、ネットと無関係のお客様をフォローできていないことになる。そして、そのような方の方が、圧倒的に多いのである。その方達は、最後まで潜在需要のままで終わってしまうこととなる。
今ここで、話を絞って述べた内容は、主に障害年金の裁定請求とこれに係る不服申立てと支分権消滅時効問題になるが、後者については、国は、一刻も早く、保険者の窓口で、お客様に真面に説明できる内容に修正していただきたいと思っている。
昨日は、ある東京の弁護士が、名古屋高裁の私の事件と、これと正反対の結論となっている東京地裁、及びこれを支持した東京高裁の考え方についてご自分のブログで解説してみえる記事を拝見した。この方は、私の主張している、障害年金の支分権については、「停止条件付債権的債権」である旨の考え方に同調していただいている表現が見られ、最高裁の判断を注目していく旨の内容で終っている。
まだ、最高裁が結論を出したことにはお気付きでないかもしれないが、受給権者に説明もできないような運用には改善を要する旨お考えであることは、まだお話をしたことが無くても伝わってくる。
この先生は、結果両極端な判断に対して、名古屋高裁の判断と東京高裁の判断とを比較され、どちらの判断が正しいかと自問され、私見では前者を正しい判断とされている。しかし、私に言わせれば、この東京の事件の原告(控訴人)の主張内容に問題があるということになる。裁判官が、「なるほど」と納得するまでの主張の展開をしていない可能性が高い。
私達士業は、説得力の優劣でサービスを評価される側面を否めない。自画自賛になるが、この面では、ここ2年間ほどの間は相当の力を発揮できて来たものと自己満足している。今後も怠りなく反省を重ね、満足いただけるサービスを提供し続けたい。詰まり、良い後継者を早く見付けたい。
posted by 326261(身にロクに無い:身に付いていない:電話番号!!) at 09:07| Comment(0)
| 16 ふりかえり
2014年02月08日
音楽との係わり
今日は、先週の土曜日に引き続いて、第3回成年後見人養成講座だ。実は、半月ほど前から、3人目の孫娘「由侑」から、1/2成人式(私は、そんな行事が行われていることも知らなかった)で、4学年でのリコーダー演奏の指揮をするので見に来てほしいと頼まれていた。しかし、例によって15分以上の遅刻、早退をすると、養成研修の修了証がもらえなくなるので、娘には、ビデオに撮っておいてくれるよう頼んだ。本当は、あの頼りない、保育園の運動会で、ただ一人だけ両親の馬からずり落ちた由侑が、どのくらい成長したかをこの目で見たかったのだが、不可能となった。
昨年の夏休みには、由侑の誘いで、8月だけでも3回の演奏会に一緒した。7月と9月を入れると、6回以上同席している。本人も4年生から始まったクラブ活動で、金管バンド部に入部し喜んで熱心にやっているようだ。つい最近まで、妻が三人の孫娘のピアノをみていたが、忙しくなったのか、誰も来なくなった。長女は少し遠いので仕方ないにしろ、次女と三女の子は来れば良いと思うのだがそれどころではないようだ。三女の子が初孫の「水稀」だが、今中一で、真坂の運動部で、背丈もないのにバレーボール部である。市内でも1、2のバレー強豪校で、夜連を含め休日にも相当厳しい練習があるという。何事も思っていない方向に進むものである。
由侑には、今三歳の弟(仁哉)がおり、よく面倒を看ており、仁哉の言いたいことは、親よりも良く分かるようで、親が助かっているという。私が何を言いたいかというと、何事も環境による影響が大きいので、この指揮を振れるほどの積極性も、感受性も、音楽感も、日常での弟との遣り取りと、演奏会に数多く行ったのが良い影響を与えているのではないかと勝手に考察しているのだ。
私自身の音楽との係わり合いは、ほとんど成人してからだ。小学校の1、2年生の担任の女の先生が、「いい声をしているので、さぼっているのはもったいない」というようなことを言ってくれたことはあるが、音楽とは全く関係を持たなかった。
中学校3年生の時の英語担当の担任の先生が歌を幾つも教えてくれて、愛唱歌、ロシア民謡、労働歌をよく歌ったが、深い係わりを持つまでには至らなかった。高校生になり、受験勉強をしていた時期もあったが、いつもながら病で、ラジオを聴きながらの勉強であった。クラシックは少なく、ラテンとか、軽音楽、映画音楽が多かった。
NTTに勤め、名鉄電車で通勤していた時、帰宅時に、車中で、当時豊田市では有名な名曲堂という楽器店の一人娘であるT.Uさんと会い、近く豊田混声合唱団ができ、毎週火曜日の18時30分から20時までが練習時間で、会場は名曲堂の裏の教室だから、入団したらと勧められた。指揮者、団長とも学校の先生で、各々K.N先生、N.H先生だという。入団を勧めてくれた彼女とは、同学年であるが、学校は違うし、どうして知り合ったのかも思い出せない。まんまとその言葉に乗って、入団したのだ。不思議なもので、これが私と音楽との係わり合いの出発点である。
何回かの定期演奏会、慰問演奏やジョイントコンサートも行い、第九の演奏会では、合唱団ごと参加したこともある。我が家では、第九演奏には3回連続で家族全員(5人)が参加したので、何紙かの新聞にその旨の紹介をされていた。ある時は、お琴の先生の会に頼まれて、お寺での琴の音に合せて5人ほどで古歌を歌ったこともある。団活動中2年間は団長も引き受けたこともあり、当時団の伴奏者であった妻と団員結婚bPになるとは、人生は分からないものだ。
そして、混声合唱団は、老若男女色々な職業の人がいて、実に多くの友達ができた。今でも深い交際がある。色々な意味で良い経験をさせてもらい、偶然の出会いに感謝している。
私の事務所は、自宅にあるので、ほとんどの時間帯は、NHK FMや、自分で編集したCDを掛けている。今でも、ながら病は治っていない。FMは手間がかからないし、時々聴きたかった曲を向うで選んでくれるのだからこれ以上の環境はない。装置は、少し古いが5.1チャンネルの少し贅沢なものを選んである。昔は、ヤマハのFM100という、大きなスピーカーを持った装置で、ヤマハによると豊田市で初めて入れてもらったお客様ということになっている。このスピーカーは、中心から周囲までの距離が全部違い、これが自然な良い音を出すとのことであったが、今ではもっと小さくて良い音の出るものがあるようだ。
社労士になったのも偶然で、偶然続きの私の人生であるが、少し遅かったが、音楽と出会えて本当に良かったと思っている。T.Uさんありがとう!! このT.Uさん、私が入団した時には居なかった。私も居るからと私を誘っておきながら、相当の期間が経過してから入団してきた。まー、いいか。
昨年の夏休みには、由侑の誘いで、8月だけでも3回の演奏会に一緒した。7月と9月を入れると、6回以上同席している。本人も4年生から始まったクラブ活動で、金管バンド部に入部し喜んで熱心にやっているようだ。つい最近まで、妻が三人の孫娘のピアノをみていたが、忙しくなったのか、誰も来なくなった。長女は少し遠いので仕方ないにしろ、次女と三女の子は来れば良いと思うのだがそれどころではないようだ。三女の子が初孫の「水稀」だが、今中一で、真坂の運動部で、背丈もないのにバレーボール部である。市内でも1、2のバレー強豪校で、夜連を含め休日にも相当厳しい練習があるという。何事も思っていない方向に進むものである。
由侑には、今三歳の弟(仁哉)がおり、よく面倒を看ており、仁哉の言いたいことは、親よりも良く分かるようで、親が助かっているという。私が何を言いたいかというと、何事も環境による影響が大きいので、この指揮を振れるほどの積極性も、感受性も、音楽感も、日常での弟との遣り取りと、演奏会に数多く行ったのが良い影響を与えているのではないかと勝手に考察しているのだ。
私自身の音楽との係わり合いは、ほとんど成人してからだ。小学校の1、2年生の担任の女の先生が、「いい声をしているので、さぼっているのはもったいない」というようなことを言ってくれたことはあるが、音楽とは全く関係を持たなかった。
中学校3年生の時の英語担当の担任の先生が歌を幾つも教えてくれて、愛唱歌、ロシア民謡、労働歌をよく歌ったが、深い係わりを持つまでには至らなかった。高校生になり、受験勉強をしていた時期もあったが、いつもながら病で、ラジオを聴きながらの勉強であった。クラシックは少なく、ラテンとか、軽音楽、映画音楽が多かった。
NTTに勤め、名鉄電車で通勤していた時、帰宅時に、車中で、当時豊田市では有名な名曲堂という楽器店の一人娘であるT.Uさんと会い、近く豊田混声合唱団ができ、毎週火曜日の18時30分から20時までが練習時間で、会場は名曲堂の裏の教室だから、入団したらと勧められた。指揮者、団長とも学校の先生で、各々K.N先生、N.H先生だという。入団を勧めてくれた彼女とは、同学年であるが、学校は違うし、どうして知り合ったのかも思い出せない。まんまとその言葉に乗って、入団したのだ。不思議なもので、これが私と音楽との係わり合いの出発点である。
何回かの定期演奏会、慰問演奏やジョイントコンサートも行い、第九の演奏会では、合唱団ごと参加したこともある。我が家では、第九演奏には3回連続で家族全員(5人)が参加したので、何紙かの新聞にその旨の紹介をされていた。ある時は、お琴の先生の会に頼まれて、お寺での琴の音に合せて5人ほどで古歌を歌ったこともある。団活動中2年間は団長も引き受けたこともあり、当時団の伴奏者であった妻と団員結婚bPになるとは、人生は分からないものだ。
そして、混声合唱団は、老若男女色々な職業の人がいて、実に多くの友達ができた。今でも深い交際がある。色々な意味で良い経験をさせてもらい、偶然の出会いに感謝している。
私の事務所は、自宅にあるので、ほとんどの時間帯は、NHK FMや、自分で編集したCDを掛けている。今でも、ながら病は治っていない。FMは手間がかからないし、時々聴きたかった曲を向うで選んでくれるのだからこれ以上の環境はない。装置は、少し古いが5.1チャンネルの少し贅沢なものを選んである。昔は、ヤマハのFM100という、大きなスピーカーを持った装置で、ヤマハによると豊田市で初めて入れてもらったお客様ということになっている。このスピーカーは、中心から周囲までの距離が全部違い、これが自然な良い音を出すとのことであったが、今ではもっと小さくて良い音の出るものがあるようだ。
社労士になったのも偶然で、偶然続きの私の人生であるが、少し遅かったが、音楽と出会えて本当に良かったと思っている。T.Uさんありがとう!! このT.Uさん、私が入団した時には居なかった。私も居るからと私を誘っておきながら、相当の期間が経過してから入団してきた。まー、いいか。
posted by 326261(身にロクに無い:身に付いていない:電話番号!!) at 00:24| Comment(0)
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