2025年04月19日

豊田市発行の 長寿者番付


今週の木曜日 4月16日 豊田市中央図書館に行って 豊田市発行の 長寿者番付を 見せてもらってきた

昭和57年から 平成11年まで 12種類が 保管してあった

横綱から 前頭まで 90歳以上の方が 載っている 番付表 である

行司 豊田市老人クラブ連合会 勧進元 社会福祉法人 社会福祉協議会 審判 年齢の認定は 豊田市福祉部の調査に従う とされている

90歳以上となると だんだん 人数が増えてきて 平成になると 画面 が大きくなっていた

多分 1枚では載せきれなくなって 廃刊したものと思われる

年度ごとに 封筒に入れられた資料として 番付とは別に 通知書が3枚 見つかった その資料によると 90歳以上の生存者は 昭和61年で 251人 昭和62年で 281人 昭和63年で 331人 となっている

なぜ これを見に行ったかというと そろそろ 自分の健康寿命も 考えなければいけない年になっており その面で 目標としてきた 祖父の 死亡した時の 年齢を確認したかったのである

昔のことだが 一度だけ この長寿者番付に 祖父が載っていたことを 確認したことがあったのである

確認できたことは 昭和61年に 前頭 90歳 岩倉町 成田新太郎 明治29年 8月17日生まれ 昭和62年は載っておらず 昭和63年に 同様 93歳とされていた

平成元年のものも 確認してみたが 載っていなかったので 93歳で亡くなったのかもしれない 

これは偶然 私の母が亡くなった年齢と同じである

番付 からは 100位には入っていたと思われるので これは当時としては 長寿の部類に属する

昭和62年版に なぜ載っていなかったのかが不思議であるが この資料にも 何らかの落度があるのであろう

祖父は 姿勢の良い人で高台に立っている自宅 の庭 から 見下ろすことができる 道を歩いているところを見ると 両手を 振って 胸を張って歩いており まるで 青年のようであった

体はあまり大きくなく 頑丈とも思えなかったが 歌が好きで 朗らかな人であった

田舎暮らしで 大百姓であったが 私はよく遊びに行ったので 祖父が 曲がった釘を 玄能で打って真っ直ぐにして 再使用していた ほど倹しい暮らしをしていたことを思い出す

私の実父は 昭和19年8月9日に 私が2歳の時に 戦死しているので どうしても 母方の実家に 遊びに行くことが多かったが 祖父にも 祖母にも 囲炉裏を囲んだ みんなでの生活に 大きな影響を受けている

私は 長女の長男であったので 叔父叔母とは 一番年齢が近く 4女である叔母とは 2歳違うだけで もう 少しで 逆転してしまうところであった

叔父が4人 叔母が4人それぞれ 全員と 接触があったが どうしても 色々な事情により その交際には 濃淡があった

非常に 思い出深い方々であったが 今や 叔父 一人 叔母 一人を残すのみになってしまい 寂しく思っているが 残りの2人は 今でも電話やメールを くださり大変感謝している
タグ:健康寿命
posted by 326261(身にロクに無い:身に付いていない:電話番号!!) at 07:45| Comment(0) | 15 健康

2025年03月15日

退院後の経過について


3月5日 水曜日10時頃に 退院し 経過は概ね順調である

翌 6日 木曜日には 私の入院を知って お見舞いに 来てくれた人や 見舞いの品や生花等をくださった方々に 対して 内祝いの品とメッセージを送る 手続きをしたのだが 昨日 3月14日 金曜日にようやくその 品が届いたようで 昼間に 3人の方から 夕方お一人から電話をいただいた

本日も嬉しい電話が来そうである

電話で話していると 色々な 情報や 思わぬ 人脈のつながりを知ったりして 楽しいものである

昨日の電話では あるお客様から 日本福祉大学の 青木聖久教授と 話をする機会があり 先生から 私を知っている 旨の 話があったとのことで寄寓を感じた

私は 快復も順調で気分も良かったので明るく大きな声で対応できた

退院時 時々 左の 肋骨が 痛かったので 6時間経過後でないと 飲めない 痛み止めを 2個 要求しておいたのだか 主治医は 念のため 10個くださった

偶然 夜になると 同じような時間帯に 痛くなったので 我慢をせず1日 1個を 服用していたのだが 6個服用した時に服用中断を決意した

予定どおりここで痛みは治まり神に感謝すると共に 今後 歳を考えて 事故予防を自らに誓った

仕事も完全復帰で 一昨日は 3件の用事で名古屋に出掛け、2件の私用をこなしてきたが 疲れは感じなかった

この波に乗っかるように 懸案の大事件についても朗報が届くと良いのだが それについては楽観をすることなく常に 次の対策を準備しておくのが私のやり方である
タグ:退院内祝い
posted by 326261(身にロクに無い:身に付いていない:電話番号!!) at 08:39| Comment(0) | 15 健康

2025年03月08日

生きている心地のしない動脈瘤の存在


令和6年10月10日 木曜日 名古屋高等裁判所 2階 において 右脚の 靴底に 急ブレーキがかかってしまい 転倒 骨折したわけであるが その時 疼痛が酷く車椅子にも乗れず 救急車で 重工大須病院 に入院した

その時 CT を撮ったのであるが 普通の 病院では 下半身しか撮らない そうであるが 重工大須病院では 全身を撮ってくれた

その時の内科医が見つけてくれたのが 胸部 背面 下行 大動脈瘤である

結果 大腿骨骨折対応には 4週間の入院が 必要であったが 同病院では 大動脈 の 手術をする担当科はなく 退院時には 私の希望を含め 豊田厚生病院を 予約してくれていた

豊田厚生病院においても より詳しい 検査をしたが 緊急性がないとみなされ 結果 入院・手術を 3回も延ばされた

周りを見てみると 待機組がたくさんおり 私の診断は 経過観察でも良いとされていたので 緊急性がないとみなされ 延ばされたものと思われる

2月25日入院 2月26日 木曜日 大安 手術 3月5日 水曜日 退院であったから 術後1週間ぴったりで 全て 予定通り 進んだのだから 3回も延ばされたのは 納得のいく 措置であったと思われる

しかし 私としては いつ 破裂するかわからない 大動脈瘤を持ったまま 生活することは 生きている心地がしないもので 早期入院・手術を希望したのである

重工大須病院で 大動脈瘤を 発見してくれていなかった場合 私は 体に ある程度の自信があったから 多分無理をして 突然 動脈瘤が 破裂し 死亡していた可能性が高い

大動脈瘤を 切除 して しまったわけではないので 不安はあったが この カテーテル (グランドクラフト メッシュ) は 30年から40年は もつとのことで その前に 寿命が来ると説明された

続く 入院で 健康の大切さは しみじみ 感じたところであり 手術の成功とともに 今後 万全の注意でもって 健康長寿を 誓った次第である

我が家の愛猫 殿 との長生き競争 を勝手にしているのであるが そのことを承知している 妹からも 猫に負けないように と言われている

今回入院して励まされたことは 病気を知ったお客様等からも 面会 激励をいただいたり お見舞いの品や生花をいただき まだまだ期待されていることを痛感した

他の弁護士や 社労士では できない仕事をしている私としては 健康で長生きをして 対抗していくしかなく 相当の 努力を 続けることを 宣誓する
posted by 326261(身にロクに無い:身に付いていない:電話番号!!) at 10:42| Comment(0) | 15 健康