今週の木曜日 4月16日 豊田市中央図書館に行って 豊田市発行の 長寿者番付を 見せてもらってきた
昭和57年から 平成11年まで 12種類が 保管してあった
横綱から 前頭まで 90歳以上の方が 載っている 番付表 である
行司 豊田市老人クラブ連合会 勧進元 社会福祉法人 社会福祉協議会 審判 年齢の認定は 豊田市福祉部の調査に従う とされている
90歳以上となると だんだん 人数が増えてきて 平成になると 画面 が大きくなっていた
多分 1枚では載せきれなくなって 廃刊したものと思われる
年度ごとに 封筒に入れられた資料として 番付とは別に 通知書が3枚 見つかった その資料によると 90歳以上の生存者は 昭和61年で 251人 昭和62年で 281人 昭和63年で 331人 となっている
なぜ これを見に行ったかというと そろそろ 自分の健康寿命も 考えなければいけない年になっており その面で 目標としてきた 祖父の 死亡した時の 年齢を確認したかったのである
昔のことだが 一度だけ この長寿者番付に 祖父が載っていたことを 確認したことがあったのである
確認できたことは 昭和61年に 前頭 90歳 岩倉町 成田新太郎 明治29年 8月17日生まれ 昭和62年は載っておらず 昭和63年に 同様 93歳とされていた
平成元年のものも 確認してみたが 載っていなかったので 93歳で亡くなったのかもしれない
これは偶然 私の母が亡くなった年齢と同じである
番付 からは 100位には入っていたと思われるので これは当時としては 長寿の部類に属する
昭和62年版に なぜ載っていなかったのかが不思議であるが この資料にも 何らかの落度があるのであろう
祖父は 姿勢の良い人で高台に立っている自宅 の庭 から 見下ろすことができる 道を歩いているところを見ると 両手を 振って 胸を張って歩いており まるで 青年のようであった
体はあまり大きくなく 頑丈とも思えなかったが 歌が好きで 朗らかな人であった
田舎暮らしで 大百姓であったが 私はよく遊びに行ったので 祖父が 曲がった釘を 玄能で打って真っ直ぐにして 再使用していた ほど倹しい暮らしをしていたことを思い出す
私の実父は 昭和19年8月9日に 私が2歳の時に 戦死しているので どうしても 母方の実家に 遊びに行くことが多かったが 祖父にも 祖母にも 囲炉裏を囲んだ みんなでの生活に 大きな影響を受けている
私は 長女の長男であったので 叔父叔母とは 一番年齢が近く 4女である叔母とは 2歳違うだけで もう 少しで 逆転してしまうところであった
叔父が4人 叔母が4人それぞれ 全員と 接触があったが どうしても 色々な事情により その交際には 濃淡があった
非常に 思い出深い方々であったが 今や 叔父 一人 叔母 一人を残すのみになってしまい 寂しく思っているが 残りの2人は 今でも電話やメールを くださり大変感謝している
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