2022年02月26日
呆れてしまう「ただし書」にかかる裁判所の誤解釈
標記の誤解釈に係る高等裁判所の判決が2月9日(木)にあった。この判決書を受任弁護士が受領した日が2月18日(金)であったので、私が知ったのは、ごく最近である。
第一審の名古屋地裁判決では、「ただし書の適用」について、次のように判示し、名古屋高裁は理由を付せずそのまま引用している。
「しかしながら、国年法18条3項ただし書は、前支払期に支払うべきであった年金を支払期でない月であっても支払う旨規定するが、この規定が支払期を定める同項本文の例外として定められているものであることに照らせば、同項ただし書は、年金の支払期が前記各項の本文に定める支払期であることを前提として、裁定により支払うべき年金が具体的に生じたものの裁定に日数を要したなどの事情により当該年金が本来支払われるべき支払期に支給されなかった場合にその支給を後に到来する同項本文の支払期まで保留するのは相当でないことから、同項本文の定めにかかわらず当該年金を支給する旨の規定であると解される。そうすると、同項ただし書をもって、裁定前の年金の支払期を同項本文と異なるものとする趣旨と解することはできず、同項ただし書により、裁定前の支分権の支払期が裁定された時であるということはできない。
したがって、原告の前記主張は採用することができない。」
と名古屋地裁は、「ただし書」の適用を否定(名古屋地裁(2021.7.8)令和2年(行ウ)第66号 障害基礎年金支給請求事件,9.)しており、名古屋高裁は、この判断をそのまま引用(名古屋高裁(2022.2.9)令和3年(行コ)第49号 障害基礎年金支給請求控訴事件,3.)している。
しかし、この説示は、法律解釈の根本からして誤っている。法律の規定に「ただし書」が存在し、その「ただし書」に該当する事柄があれば、「ただし書」が優先的に適用されるのが、法解釈の基本中の基本であり、「ただし書」を設けた趣旨・目的である。
広辞苑第二版によれば、「但書」とは、「その前文の補足または条件・例外などを定めた文。」とある。
我が国の裁判では、国語を用い争うことになっている。当然、判決文においても国語を用い、分かり易く説示する必要がある。法律的解釈どころか、基本的な国語の解釈もできない裁判官に恣意による判決を書かれたのでは、国民は、只でさえ、大きな権力を与えられている国家に対して幾ら違法を主張しても勝てるはずがない。
また、この説示は、被告側が、多くの裁判で書証として提出している上記の『国民年金法[全訂社会保険関係法2]』の「裁定請求手続き等の遅れにより」という、受給権者側の理由による遅れもただし書が適用となる旨の説明とも反し、「ただし書」の適用を否定できる根拠となっていない。
加えて、44号判決の第一審の判決書では、「支分権たる受給権の消滅時効の起算点がその本来の各支払期月である限り」と、正しい支払期月について問題としており、法務省内社会保険関係訴訟実務研究会が発行した「社会保険関係訴訟の実務」(1999.5.30),252-253)では、本件で問題にしている支分権の消滅時効の起算点について、「裁定前に支払期が到来したものについては裁定時(ただし、初日不算入)が起算点となる。」と裁定前の支払期月と裁定後の支払期月を書き分けて説明しているのであるから、この判決の判断が誤っていることは明らかである。
「同項本文の例外として定められているものであることに照らせば」などという屁理屈(理由)が法律的解釈として成り立つものでないことは、司法試験に合格し、約1年間の司法修習期間を経た裁判官にこの矛盾が分からない筈はなく、結論ありきの行政の意向に沿った判決に導くための詭弁であるとしか考えられない。
行政訴訟においては、このような無茶苦茶な判決理由が横行しているのが現実であるが、考えるに、これは、裁判官の身分保障が過度に過ぎるのが原因の一つであると思われる。
何をやっても許されるという馴れから来ているのではないであろうか。余りに酷い判決理由を強行する裁判官に対しては、最高裁の判事に対する国民審査のような制度を設け、裁判官から外れてもらう制度を創設する必要さえ感じる。
現実の問題としては、これはなかなかできることではない。我々ができるのは、精々このようなブログで、これを強行した裁判官の氏名を公表することぐらいであるので、第一審及び第二審を含め、担当裁判官の氏名を公表する。
名古屋地裁 角谷昌毅 裁判長、湯浅雄士 裁判官、山田亜湖 裁判官
名古屋高裁 永野圧彦 裁判長、前田郁勝 裁判官、真田尚美 裁判官
posted by 326261(身にロクに無い:身に付いていない:電話番号!!) at 11:09| Comment(1)
| 11 所感
2022年01月08日
戦闘モードに入らない新年
松の内も明けようとしている昨日になっても、一向に戦闘モードに入らない。
私の仕事は、ごく普通の社労士と違って、訴訟や審査請求・再審査請求の仕事が多いので、戦闘モードに入らないと、訴える力の強い良い文章が書けないのであるが、寒さのせいか今一戦闘モードに入らない。
昨日、天気も良いし、13日(木)には、3団体を訪問予定があるので、みよし市にある床屋さんに行くこととした。いつもは、名古屋に行った時の帰りとかに寄ることが多いので、わざわざそのためにだけで行くことはほとんどないのであるが、すっきりして、帰りには好きな定食を食べてくれば、スイッチが切り替わるかもしれないと思ったからである。
ところが、今日になっても一向に様子は変わらない。
日本年金学会に提出した論文の査読が終わり、昨年12月16日(木)に公開審理のあった重要な事件の裁決が出されれば、色々な対応があるので、否が応でも戦闘モードに変わる筈だが、今のところ、めらめらと盛り上がってくるものがない。
丁度、床屋さんに着いた時には、お客様から電話があったのであるが、この要件は、2つの問題共に、私のライフワークにしている問題とは、関係がないので、電話で即答して切りが付いてしまい、戦闘モードへの切り替えには役立たなかった。
最大関心事の再審査請求の審査長である瀧澤泉審査長について、過去の判決例等を調べてみたのだが、その方の傾向とか、基本的な信念のようなものが読み取れなかったことも、戦闘モードに入らない遠因かもしれない。
経歴としては、「裁決例による社会保険法」の著者である加茂紀久男氏と似かよったところがあるが、司法研修所の教官を経験されているところが違っていた。
当然に、学研的であり、筋を通される筈だと期待するのであるが、立場としては、厚生労働省から委嘱されている立ち位置である。
しかし、今までの裁決では、多くの国を負かせた裁決があるのであるが、担当者に電話でお聞きした範囲では、その場合に、国側から、訴訟を提起した事例は、皆無という回答であった。加えて、国側から再審査請求した事例もその担当者の知る限りでは無いそうである。
しかし、私が争っているのは、一個別事件としての問題にとどまらない、制度又は法律の改正を伴う問題である。
そのことは、私の主張から審査長には十分すぎるくらいに伝わっており、例え、立派な人格者でも悩まざるを得ない問題である筈だ。
それを知りながら、近畿厚生局の社会保険審査官が、教示があったとの理由で却下した事件を、実質を重んじて教示はなかったと判断し、再審査請求を受理してくださったのであるから、私としては、どうしても、大きな期待をしてしまう。
受理自体については、2つの考え方があり、私の期待どおり、現在の運用は、どうにも不合理だから改正を要するとの判断がある一方、このように最高裁や高裁までが割れている事件について、類似事件の発生を無くすよう、しっかりとした判断を示す必要があるとの判断も考えられる。
瀧澤審査長が、どちらの考えであるかは、私の調べた資料では分からないが、天命を待つ以外方法がない。
posted by 326261(身にロクに無い:身に付いていない:電話番号!!) at 11:06| Comment(0)
| 11 所感
2022年01月01日
多くの皆様と共に喜べる良い年にしよう
本日から令和4年寅年がスタートした。例年、年末には、臨時増刊でブログをアップすることが多いが、今年、それを行うと昨日に引き続きれ連日になってしまうので、今年は、本日のブログに昨年の回顧を含め述べることとした。
私がライフワークとしている、時効消滅の名の下に障害年金の支分権が遡及5年間分に支給制限されていることに対する法改正又は運用改正活動であるが、昨年は目に見える形で2つの大きな進展があった。
一つは、国の受付け誤りを国家賠償の対象となる違法行為と認めた(9月15日名古屋高裁金沢支部 蓮井俊治裁判長)ことであり、二つ目は、社会保険審査会が年金決定通知書に時効消滅している旨の付記をしたことに対して、これを含めて「行政処分」と判断したこと(瀧澤泉審査長)である。
これは、両方ともが実に大きなことである。
前者については、従来、信義則違反を認めて、原告側の主張を認容した事件はまま見られたが、国家賠償法にいう「違法行為」とまで認める判決は、ほとんどなかった。
後者については、従来、国の主張は、これは、消滅時効という事実行為であり行政処分ではないという見解であった。しかし、過去において、双方の裁決があったこの問題について、双方の事実を認めた上で、行政処分であると判断したのである。
勿論、請求人の主張が認められるかどうかについては、未定であり、楽観は許されないが、少なくとも、これからは、類似事件については、3カ月以内に審査請求をすれば、受理されるということである。
また、目に見える形にはなっていないが、私が日本年金学会に寄稿した論文「障害年金の支分権は本当に裁定前に時効消滅しているか否か」が、幹事会において、査読の価値ありと判断され、今月を目途に査読が完了する予定であることも大きな一歩である。
今年は、1月か2月には、これら3つの注目すべき事項に係る方向性が示されることとなる年であるので、どちらの結論にしろ、道理に適ったなるほどと納得のできる判断を示していただけるよう大いに期待している。
この3つの重大事のキーマンは、それぞれ、最高裁第三小法廷、社会保険審査会瀧澤泉審査長、及び日本年金学会のお二人の査読委員(匿名、寄稿者の氏名等も伏せられている)である。
これらが順調に進めば、懸案の事項も順次当然に解決に向かうこととなるので、今年は、多くの方々と共に喜びを分かち合える年になるように感じている。
posted by 326261(身にロクに無い:身に付いていない:電話番号!!) at 11:14| Comment(0)
| 11 所感