昨年11月23日(土)のブログに[再審査請求からの大逆転を期して]と題して、3日前まで入院していた人からの公開審理の当日の相談について書いた。その後受任した再審査請求事件に対する決定書が、過日突如届いた。社会保険審査会(以下「審査会」という)から、まだ、奮闘中で必要な書類も出してないのに、4月2日(火)に決定書が届いたのだ。直感的な不安が走り、急いで結論を読むと「容認」の決定である。不服申立ての結論は、容認、棄却、及び却下の3つしかないので、形式上はこれで良い事になってしまうが、本文を読んでみると、これでは、依頼者(以下「本人」という)も私も納得できるものではない。
「容認」なのに、なぜ納得できないのか。当初の請求は、障害厚生年金の認定である。ところが、認定されたのは、障害基礎年金の認定だからである。これでは、障害厚生年金自体と、妻に対する加給年金額がもらえなくなってしまう。本件の障害等級の認定は2級であるので、障害厚生年金が認められれば、当然に障害基礎年金も付いて来るのである。そして、何より、必要な書類を提出するまで決定を延ばしてほしい旨の合意が独断で破られたことだ。約束した担当者は、年度末で異動しているが、決定書の日付は3月31日である。当然、担当者もこの事情を承知していたことになる。
私が、受任時には、審査会自体にもその旨の依頼状が出してあり、請求者本人も、公開審理の席上、その旨の発言をしている。たぶん、審査会の善意に基づく措置であると思うが、この行き違いは、影響が大き過ぎる。審査会は、原告の病状、及び原告の主張する初診日の証明の困難性を考慮し、少しでも早く決定を出すべき善意に基づく決定をしてくれたものと推測するが、遣り直しの効かない再審査請求であるので、事前に代理人に進捗状況等を確認すべきであった。世の中、行き違い、すれ違いはよくあるもので、私自身も反省しなければならない。審査会が公開審理を終えているものを、よく長い間待ってくれるものだと、一抹の不安と、担当者の言葉に半信半疑のところがあったのだ。だとすれば、待ってもらって恩恵を受けるのは、こちらであるので、私も適宜中間報告をすべきであったと反省している。忙しいところ邪魔をしては迷惑だと遠慮した面もあるが、影響の大きさを考慮する必要があった。痛い経験であったが、よい勉強になった。
本人と私は、K病院に提出する客観的資料の準備を継続中で、決定の出た時期においては、本来の初診を受けたK病院から転院した、N.I病院 糖尿病・代謝内科のM.F医師による紹介状(診療情報提供書)が偶然見付かり、これ等の資料に基づきK病院から受診状況証明書に「準ずる書類」をいただける旨の口頭了解を得ていたのである。
本件の争点は、再審査請求に至るまで、一貫して、原告の主張する初診日に、厚生年金保険の被保険者であったのかどうかに絞られて来ていたので、これが証明できれば、当初の原告の主張が全うされたものである。そうすれば、現状では、妻に対する加給年金額も受給要件を満たすので、このまま放置すれば、将来にわたって大きな損害が発生してしまう。
当然だが、東京で生活していくためには、障害厚生年金に加給年金が出たとしても、これに障害基礎年金を加えた収入では生活していけないという。従って、協議の結果、取り敢えず、障害基礎年金の初回払い約2年間分をもらってから、訴訟を提起することに決まった。この状況で、ご本人に弁護士に多額の着手金を支払う資力はない。従って、私が本人訴訟の支援をすることになった。私にとっては、ここ最近、本人訴訟支援大流行である。大逆転が成就するまでには、更に長い時の経過を要することになってしまった。また、このブログのテーマも B を出さなければならない状況に陥った。
少し詳しい話になるが、原告は、平成10年10月10日を初診日として、障害厚生年金の裁定請求を求めていたが、審査会は、初診日を原告の提出書類で確認できる平成12年12月31日と解釈したのである。本人にとっては、本来の初診日を証明する資料が何もなく、整えようにも、当時受診したK病院は、組織変更しており、経営者も変わっている等の理由と、原告が当時同病院で受診していたという客観的資料を出さないという理由で、初診日証明(受診状況証明書)の発行を拒まれていた。 原告は、仕方なく、この書類未整備のままの状態で、裁定請求、審査請求と進めたのだが、いずれも、他の条件は満たしているにも拘らず、初診日当時厚生年金保険の被保険者と認定できる客観的資料がないとの理由で、いずれも棄却されてきた。
私が依頼を受けるまでには、しばらく検討期間があったが、私は、受任後、審査会に対して、理由を付して、延期願いと委任状を送付し、決定をしばらく待っていただくようお願いしていた。しかも、事務担当者にも電話で進行状況と理由を説明して、書類が準備できるまで待ってくれる旨の了解を得ていたのだ。
審査会や担当者としては、当初の請求は無理であろうからとの親切心で進めた行為と感じられるが、K病院との折衝が進行していた最中に決定がなされてしまった。私は、突然の出来事であるので、これに対する対処方法を審査会に確認した。計算違い等明らかな間違い以外は、決定を覆すことはできないとの回答を得たので、本人と今後策について相談した。
審査会が任意に初診日を換えて認定する事件は、私は初めての体験であるが、経験豊富な親しい社労士に聴くと、時折あるようである。しかし、その場合も、必ずその旨の事前の連絡があったようである。それが道理というものであろう。原告は、平成12年12月1日には、10年ほど続けていた厚生年金の加入から脱退しており、審査会が解釈した初診日の前日には厚生年金の被保険者ではなく、本来受給できた筈の障害厚生年金、及び原告の妻に対する加給年金額が受給できなくなったのである。
通常、取消訴訟の提起は、却下、又は棄却に対してなされるが、本件は形式上、容認された処分の取消を求めるものとなってしまう。しかし、本人は、容認された障害基礎年金の2級の決定に対して異議があるものではなく、実質は、原告が当初請求した、障害厚生年金の不支給に対する請求である。しかし、行政訴訟の性質上、出された行政処分の取消を求める請求方式を採るのが最適と判断されるので、少し変わった裁判をしなければならなくなった。
2014年04月05日
再審査請求からの大逆転 A
posted by 326261(身にロクに無い:身に付いていない:電話番号!!) at 07:50| Comment(0)
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