昨日、名古屋簡易裁判所の駐車場で怖い思いをした。私の不注意で、他人は全く関係しないのだが、本のちょっと間違えていたら大事故になるところであった。名古屋高裁と名古屋地裁は地下にメインの駐車業があるのだが、ほとんど空いておらず、そちらに要件のある人も、名古屋簡裁の駐車場に置いて良いルールになっている。こちらは戸外に向い合わせで置くのだが、間の通路は5mくらいである。
私は、地裁に要件があり、法廷での遣り取りが上手くいったので、気分を良くしており油断していたと思う。法廷では、ほとんどが書面の遣り取りで、陳述の確認、次期期日の調整程度のことが多いのだが、余談になるが、少し変わっていたので、本題前に余談も述べる。
裁判長が、私の証拠申出書(電話照会受付簿等)に対する相手方の答弁が、気に入らず、自分の感じたことを述べたのだ。私は、3点の書類の提出を求めたのだが、相手方の指定代理人は、いずれも無いという。裁判長曰く。帰って確認してからでなくても分かるのか。「名称を問わずとも書いてある」とまで言ってくれた。まだ、ぐずぐずしているので、私は発言を求めた。了解が出たので、「答弁書や準備書面を作ったときに使った物でも構わない」と。無いということになると、何に基づいて断言したのかが怪しくなり、真におかしな話になるのだ。
話を本題に戻す。私は、気分を良くして、次の予定の場所に移動する準備に取り掛かり、右ドアーのボタンで車のトランクを開けて、中の物を取に行こうと車を降りようとした。トランスミッションがDになっており、パーキングブレーキの踏みが弱かったのか、降りようとしたとき、ゆっくり車が前進しており、夜間、電車がホームでゆっくりとすれ違う時のような、自分の電車が動いているのに、隣の電車が動いているような変な感じと同じような錯覚に陥った。
気付いた時には3mは進んでいたろうか、これは大変と、直ちにブレーキを確認した。奇跡と思えるが、ここで慌てたら大事故になる!!と直感し、下を覗きブレーキの位置をしっかり見たのである。ドアーが開いたままだったので、はっきりと見えたのかもしれない。この直感から、ブレーキを見るまでの間に、色々なことを考えた。慌てていたら、ブレーキとアクセルを間違えて踏んでいたことだろう。真に運が良かった。
何を考えたのかというと、少し前に、観光バスの運転手が急死して、3人か4人がかりで、何度もガードレールに接触しながらも、必死にバスを止めた時の光景が目に浮かんだ。その時バスを止めた人は、急死した運転手の足元に潜り込み、手でブレーキを押さえたのだ。二つ目は、お年寄りが、ブレーキとアクセルと間違えて、コンビニやら喫茶店に飛び込んだニュースだ。三つ目は、妻の長兄がこれと同じような事故をしたとき、嫁さんが、あれ以来、年寄りには車は危ないから手放した、と言っていたことだ。
人間の脳の神経を走る感知のスピードは、光並ではないかと感心した。一瞬の間に、これだけのことを考えさせてくれた。反射的にブレーキを踏みに行っていたら、ご多分に漏れず痛恨の痛手を受けていたと思う。
人が死ぬ直前には、その人の想いで深いことが走馬灯のように巡る人がいるそうだ。たぶん、その時のスピードも光並だろうか。人間とは不思議なものである。
2013年07月20日
大事故寸前
posted by 326261(身にロクに無い:身に付いていない:電話番号!!) at 08:12| Comment(0)
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