7月2日(火)の私の履歴書の記事を見て、自分が晩熟であることを改めて実感した。囲碁棋士、名誉碁聖の大竹英夫さんの3歳頃の記憶と比べての話である。氏は、昭和17年5月生まれで、私とはたった1月の先輩ということになるが、終戦の1週間前の8月8日の記憶を鮮明にお持ちであるのだ。
元々、凡夫の私と名誉碁聖のような逸材を比べること自体比較にならないのかもしれないが、私は3歳頃の記憶は何もない。母に抱かれて防空壕に入っている時に、私が良く泣くものだから、周りの方からよく小言を言われたという話は母から何度も聞いたが、私にはその頃の記憶は何一つない。私の一番古い記憶は、ガラス製のランプを玄関ホールから土間に投げつけ、それが見事に割れたことだ。それが何歳のころのことであったかも分からない。ほかの幼少時の記憶は、母の実家によく行ったのだが、その中間地点に、水源と呼ばれる場所があり、小規模なダム施設の側溝の蓋のような橋を渡って行ったときの冒険心をくすぐられた記憶しか思い付かない。
当時長男で一人息子の私と、7人兄弟の4人目の次男の名誉碁聖とは環境も随分違っていたのかもしれないが、幼少にして既に落差が大き過ぎる。
名誉碁聖は、当日、兄や姉と公園で遊んでいたという。空襲警報が鳴ったので、防空壕に逃げ込み、食べ物も飲み物もない中、じっとしていたという。よほど怖かったのか、自分では暗い所に丸一日くらいいたような気がしていたが、後で兄に聞いたところでは、そんなに長い時間ではなかったらしい、と書かれている。この当りの記憶は何となく覚えているそうで、帰りに、近所のおばさんが「おなかすいたろう」と言って、ふかし芋を差し出してくれたときのことは、はっきり覚えているそうだ。
幼いころだけでなく、私は未だに熟れていない。悟りには程遠いし、気持ちだけは若い。そして、筋の通らないことは中々許せない。
幸い、今のところ健康であるので、このまま全てが遅れたまま齢を取り、ピンピンコロリンと終りたいものだと思っている。
2013年07月06日
晩熟実感
posted by 326261(身にロクに無い:身に付いていない:電話番号!!) at 11:16| Comment(0)
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