2013年04月20日

ある講師の地獄耳

 先日「うつ病再発予防トレーニングの重要性について」と題するセミナーに参加した。講師がお二人みえ、ある会社の代表者の方が資料に従い講演を始められた。分かり易い資料で納得し・共感できる部分も多くあった。持ち時間の半分強で講演は終った。

 残りの時間は、控えていた従業員の講師が、うつからのリワーク・再就職支援でその会社で行われているプログラム体験として、フェルミ推定を始めるという。4〜5人のグループが6組組まれて、日本国内のトイレットペーパーの消費量は、年間何トンでしょうか?という問題に取り組んだ。

 私たちのグループは、考え方、計算式は後ほど配られた回答例と違いはなかったが、結果が随分と少なく出てしまった。何故かと言うと、1ロール当りの重さを1/3程度に推定したからだ。中身が少し残されたペットボトルや、玉子の重さから推定したが、講師が分からない部分は仮定でも構わないというので、大胆に仮定して推し進めた。

 私は、このやり方が一般的だとは思ったが、細かい部分から積み上げるとたぶん誤差が大きくなることを予言していた。制限時間もあるので、このやり方で進めることに同意したが、正解とは大きく離れてしまった。グループで出した結果に対しては、検証のため、小売価格での総額を算出することを勧め、その金額が業界の規模と比べて余りにも小さかったので、私はもう一度予言をした。正解はこれより大きいと分かっていたからだ。

 推定方法は色々あるが、制限時間内に結論を出すには、ある程度限定されてくる。議論は活発で、盛り上がった。たった5人のメンバーの中でも、色々な違った考え方があるのだから、職場において色々な考え方が出るのは当然と言えば当然の成り行きだ。従って、コミュニケーションが大切になるのだが、その旨を話していた私の言葉を、あの喧騒の中で聞き分けた、最初の講師が、「先ほどベストを着た方が話してみえましたが・・・」と私の言葉を引用して、コミュニケーションの大切さを話された。

 私は耳が悪いので、とてもこのようなことは真似できないと力の無さを実感してしまった。しかし、私は検証の大切さを知っている。回答例には、検証の話は出なかったが、一度出た結果に対して、違った見方からの検証が大切だと言いたいところであった。

posted by 326261(身にロクに無い:身に付いていない:電話番号!!) at 08:53| Comment(0) | 4 セミナー等
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