2013年03月30日

国民の権利VS政府の事務作業

 昨日の日経新聞の春秋欄に私が法定代理人成年後見人として提訴した事件に関係の深い内容が掲載されていた。3月14日の、成年後見で選挙権喪失は「違憲」東京地裁が初判断、に関する記述です。

 認知症や知的障害のある人が財産管理などのため成年後見人をつけると、自動的に選挙権を失う。その決まりは憲法に違反すると言った東京地裁の判決に対し、政府が控訴した。負けは覚悟のうえで判決の確定を先延ばしするのが目的のようだ。なぜか。判決が確定してしまうと選挙事務が混乱するからだという。

 政府の天秤ばかりは目盛が狂ってやしないか。一方に事務作業を載せ、一方に選挙権を載せると、事務作業の側に傾くというのだから。結果が、法を正して事務に支障がなくなるまでは本来なら投票できる人の選挙権を奪うというむちゃになる。

 発想が逆である。国民の選挙権を守る。そのためにしなければならないことを今すぐとりかかる。できない、と言うなら、できるように考え、動くのが政府ではないかと申し上げるしかない。民主主義の根っこにある選挙権を質に入れてずるずる勝負をするようでは、信頼というなけなしの財産はあっという間に底をつく。と述べられています。

 全く同感で、春秋師が良くぞ言ってくれたと大いに賛同したい。上記で挙げた事件は、障害年金の消滅時効の完成の有無の問題ですが、今日で丁度3年になる。そして、明後日は私が社労士事務所を開業してから丁度1年半の記念日である。平成22年3月31日の大安(実は、1万待ちの七対子上がりというふざけたイメージもある)を期して訴状を提出したので、きっかり3年である。民事裁判は、3審制とはいうものの、本件は地裁から始めているので、法定上実質2審制である。

 名古屋高裁で昨年4月20日にほぼ完全勝訴しているにも拘わらず、なぜ未だに判決が確定していないのか。それは、国が時間稼ぎとしか考えられないような上告受理申立てをしているからである。上告受理申立て理由として、@名古屋高裁の判決は今までの高裁判例に反する。A法律の解釈に重要な事項を含む、の二つを挙げていますが、前者については、私の主張した論点が争点になっていない判例ばかりであり、上告受理申立て理由としては判例価値のないものです。後者については、名古屋高裁の法律の解釈自体に誤りはなく、国の判断によると、国に対する影響が大き過ぎるといった意味で上告受理申立て理由とされています。しかし、42年間以上続けられていたことですが、社会に大きな影響があるからといって、正しい考え方を潰して、間違った考え方を永久に続ける方法は選べない筈です。しかも、国は自ら矛盾に気付きながら敢えて修正をしなかった問題です。

 私の眇かもしれないが、すぐに転勤してしまう役人が、自分の時代に責任を取りたくないという姿勢が目に見えて仕方ない。この事件は、個別事件としての問題を越えて、裁定から5年以内の障害年金受給者には、全ての方が請求できる可能性を持つこととなる重要な内容のものですので、春秋の事例と同様、本権利も憲法25条に基づき具体化された重要な国民の権利に関する問題です。

 正に、政府の天秤ばかりの目盛は狂っているとしか言いようがない。しかし、敢えて政府側の立場に立って擁護すれば、どちらの解決にも膨大な費用を伴う問題であることを申し添えます。
posted by 326261(身にロクに無い:身に付いていない:電話番号!!) at 09:55| Comment(0) | 1 障害年金
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