緊急レポート
法律の運用・解釈 誤りによる年金受給権の侵害は放置できない
数百万円取り戻せる人もいる筈!! cf:名古屋高裁判決内容
1 事件の概要
平成24年4月20日(金)、名古屋高等裁判所(渡辺修明裁判長)が、「本件障害基礎年金の5年超経過で消滅時効が完成しているとして不支給とされている年金給付(支分権相当額)を支払え」、という趣旨の画期的判決を下しました。この成果は、私が成年後見人・法廷代理人として基本的な考え方(合理性、及びリーガルマインド)のみを武器にして、国の指定代理人8人と一人で争ってきた約2年間(当時の社会保険事務所への説明・請求からは、約3年間という永い年月)、及び広く一般論として、同様のケースの被害者の救済が可能となる判決が出されたことを考えると、人生最大の喜びでした。
(参考 支分権:基本権に基づき、支払期月ごとに支給を受けられる具体的な年金受給権)
この事例は、初診日当時49歳のサラリーマンの妻である国民年金の第3号被保険者が、統合失調症に罹患し、初診日当日、即入院となり、同病院に1年7カ月入院していた経緯があり、障害認定日は、退院の1カ月前で、退院時には既に障害基礎年金の裁定請求をすることができる状態であった内容のものです。ところが本人は、自分が病気であるとか、障害者であるとかの認識がほとんどなく、服薬も家族の援助がないとできない状態でした。家族や親戚の者も障害基礎年金の障害等級に該当するほどの障害の状態とは思っておらず、裁定請求はそれから約10年後の、本人が60歳になってからになってしまった事案です。なお、個別具体的事件としての主張根拠については、本人の行為能力は、支分権の最初の消滅時効の到来する間際には、心神喪失の常況、又はそれに近い状態であったと推認されたことによる判決です。
しかし、本稿では、本件のように、裁定請求をしようとしてもできない状態の場合の支分権の発生時期に関する法律の運用・解釈の一般論として、裁定の性質、及び支分権の消滅時効の起算点(支分権の発生時期)の問題に絞り考えていきます。このように限定しても、現実の利害関係者は数多くおみえになります。受給権者の関係者にとっては、死活問題ですし、保険者にとっては、支給原資の問題を含め、制度の根幹にかかわる大問題なのです。本稿の読者の大半は、年金の専門家であり、民法等法律の基本を理解された方が多いので、その前提に立って記述します。
2 権利侵害の大きさ
ここで問題とするのは、受給権者本人が、障害者であるという認識、又は自覚がなかった場合の、国民年金法第30条に基づく障害基礎年金の裁定請求が5年を超えて遅くなった場合に生じる時効が完成しているとして不支給とされた支分権の帰属のありかの問題です。この場合、従来保険者(国)は、遡及5年分の支分権の支払いはしてきましたが、それを超えた分は消滅時効が完成しているとして支払ってきませんでした。名古屋高裁は、この一律の取扱いは誤りであると明解に判決を下しました。障害年金の裁定請求を得意とし、多く扱っている仲間の社労士の話では、社労士は難しい案件を扱う傾向になるので、「私の扱う事件のほとんどが5年を超えているもの」、とのことでした。例えば、15年遅れて裁定請求した場合、110年分で、障害等級2級であれば約800万円の標題の権利の侵害が行われてきたことになります。個々の問題としても大きな問題ですが、この権利侵害が、保険者(国)による、国民生活にとって重大な法律の運用・解釈の誤りにより、永年にわたり公然と行われてきたことが大きな問題です。しかも、該当される方たちは、経済的にも恵まれない方たちが多いことが大問題です。私は、これを少しでも早期に正していくのは、社会保険労務士に課せられた使命であると考えています。
3 一般論としての論点
本稿では、既述のとおり、個別具体的事件としての論点は割愛し、障害年金の裁定の性質、及び本件支分権の消滅時効の起算点に関する正しい解釈という側面からのみ論述します。私は、本件訴訟の第一審の後半からは、いわば民衆訴訟の気概を持ってこの主張を重点に主張を展開してきました。
この問題は、今まで、多くの受給権者や関係者(特に、ご家族や精神科医師等)が理不尽と感じながらも、やむを得ず裁定請求をするのが遅くなった、5年を越えた部分の年金支給を、我慢、又は諦めてきた問題です。何故かと言えば、ここで示す一般論としては、大方の人が、国の行うことで、このような基本的なところで間違いはないだろうと信じてきたからです。
私が、この一般論としての問題点に気付いたのは、成年後見人に就任し、法廷代理人として提訴した、民法第158条1項の準用等を請求根拠とする個別具体的事件(消滅時効が完成しているとして不支給とされた4年5か月分の障害基礎年金の支給請求事件)を争っている最中に、被告(保険者:国)の主張に矛盾を感じとことにあります。
この名古屋高裁の判決の意義は、純粋に法律論として受給権者が勝訴したところにあります。まだ、判決は確定していませんが、これが最高裁で逆転すれば、日本の司法制度は崩壊です。何故ならば、名古屋高裁は、裁定の性質、及び支分権の取得時期に関する正しい最高裁判例の考え方を確認して、判断を下しているからです。更に、この判決後も、これを後押しする強力な情報が把握できましたので、順次述べます。多くの裁判は、事実認定とか、証拠の信憑性が争われるのですが、本件の一般論としての主張については、その要素は全くありません。名古屋高等裁判所は、純粋に、法律(国民年金法、会計法、及び民法)の運用・解釈の基本的な考え方について、保険者としての国の考え方が誤っていることを明確に示しました。この高裁判断と異なる被控訴人(国)の主張には「理由(根拠)がない」、とことごとく斥けました。
勿論、私はいきなり訴訟を提起した訳ではありません。順序を踏み、当時の社会保険事務所、社会保険事務局、社会保険庁、及び社会保険審査官に説明し、又は所要の手続をしましたが、理解が得られなかったり、クレーマー扱いされたり、「原処分を裁定である」、と誤判断され却下されたりしました。時間が許せば、社会保険審査会に再審査請求をしたかったのですが、私が本件について成年後見人として有効に行為できる期間は6か月以内で、その期限が迫っていたので、やむを得ず平成22年3月31日に名古屋地方裁判所に提訴しました。
(1)被告(保険者:国)の主張
法定(国民年金法第18条3項)の本件支分権の支払期月に関する保険者(国)の運用・解釈、主張は、基本権の発生に伴い、その後1か月か2か月後に順次発生する同条同項前文で定める文理解釈上の各月が正しい支払期月であるというものでした。消滅時効は、権利を行使する時から進行する(民法第166条1項)、を根拠に、裁定請求は何時でもしようと思えばできるので、本件裁定請求の遅れは、時効進行上の法律上の障碍にはならない旨主張し、法定の各支払期月が起算点の基準となる旨の主張でした。その根拠は、「裁定は単なる確認行為であるから、裁定の有無、時期にかかわらず、上記のとおり、順次支払期月が発生している」、というものでした。
同条同項但書(ただし、前支払期に支払うべきであった年金又は権利が消滅した場合若しくは年金の支給を停止した場合におけるその期の年金は、その支払期月でない月であっても、支払うものとする)の解釈については、制限列挙を意味する条文で、本件の場合には適用されない旨、乙号証を提出して原告の主張に対して反論してきました。
本件のように時効で消滅した年金について支払うことを定めたものではないとも主張しました。時効消滅しておればそもそも支払う必要がないので、おかしな主張ですが、これが被告の主張で、第一審の判決理由にも引用されていました。
原告の主張は、独自のもので、個人的見解であるとも主張しました。従って、その見解に立てば、法18条3項で規定する原則的な各支払期月から5年を超える支分権は、順次消滅時効が完成してしまうことになります。
具体的な請求権である支分権が、金額も決まらず権利者が請求できない状態で消滅時効が進行・完成するのは不合理である旨の原告の主張に対しては、被告は、裁定によって具体的金額が確定していないからといって支分権たる年金受給権の消滅時効の進行に消長を来すものではないと主張していました。そして、会計法第31条1項により「時効の援用を要せず」、「権利を放棄することができない」、から消滅時効は完成しているとの主張でした。
(2)原告(控訴人:著者)の主張
当時準用されていた会計法第30条の規定は、今でもそうですが、消滅時効が完成するのには、5年間の権利行使期間を必要としていました。5年間の内に権利を行使できるにもかかわらず行使しない者は、「権利に眠るものは保護されない」、という考え方を採っているので、消滅時効が完成することになります。
しかし、この被告の本件主張では、権利の行使機会すらなく、裁定請求と同時に一瞬にして基本権の発生と同時に、支払期月(限)も、その後5年経過で迎える時効期限も到来し、何人も時効の中断・停止の機会すらないまま、消滅時効が完成してしまうという矛盾が生じます。このような不合理はあって良い筈がなく、時効制度の本旨にも反する保険者のご都合主義だと反論しました。会計法を準用している国の機関は数多くありますが、このような勝手な運用・解釈をしているのは、私の調べたところでは、厚生労働省だけでしたので、その旨の指摘もしました。
被告の主張する支払期月は、権利行使不可能な裁定請求前に法定の支払期月が存在するというもので、事実を捻じ曲げた架空の事実(支払期月)を作り上げたものです。国民の命を守るこのような重要な法律の運用・解釈において、あってはならないものだと指摘し、主張してきました。しかも、条文を良く見てみれば、法第18条3項には、このような不測の事態のための但書が存在するのです。私は本件支分権の法定の支払期月は同条同項但書(前掲済み)であると主張しました。従って、本件においては、裁定請求前に本件支分権の支払期月が到来することはなく、裁定請求から5年を経過しておらず、本件支分権の消滅時効は完成していないという主張をしました。
また、独自の見解だという主張については、今まで誰もが指摘していない論点を問題にしているので、独自の見解になるのは当然で、独自の見解だという主張は、それが正しくないという証明にはならない旨主張しました。
会計法第31条1項については、消滅時効が完成してからの問題ですから、消滅時効が完成していない本件には、無関係である旨主張しました。
(3)訴訟当事者以外の見解等
上記(2)の私の主張は、過去公的年金約70年の歴史において、保険者(国)の専門官も、受給権者も、社労士も、弁護士も、学者も誰一人として指摘してこなかった論点ですので、私は、独善を避けるべく、できるだけ多くの方たちにご意見を伺いました。正しい主張を進めるには、その主張が、客観的で合理的である必要があるからです。意見をお聴きした社労士の方の多くは、私の主張に対して、関心を示さなかったり、意見を理解する人は少なく、受験予備校のある有名な先生からは、本来基本権の消滅時効が完成しているものを、宥恕をもって、特別に時効を援用しない措置としているものだから、そもそも支分権もその時点で消滅しているものであり、私の主張には無理がるとのご意見を拝聴しました。また、別のある有名な先生は、「微妙だ」、とのみおっしゃいました。
お話しした弁護士の先生は、大半は私の主張に理解を示されましたが、中には、これを裁判官に分かってもらうのに、どのように表現するのかの問題点を指摘される先生もおみえになりました。現に、そのとおり、第一審は、弁論主義における私の主張責任の欠如が原因で完敗でした。
しかし、酷いことに、被告の誤った主張表現に私が乗ってしまい、私が誤った主張を展開してしまったのも原因です。余談ですが、完敗の主因ですので少し触れますが、被告が、「裁定手続の遅れなど」、と表現すべきところ、「裁定請求の遅れなど」、と準備書面に誤って記載してきたので、私は、「何を訳の分からないことを言っているんだ」、とくらいにしか考えず、深く追及しなかったのです。ところが裁判官は、被告の表現を、言葉どおりには受けとめず、「裁定請求の手続の遅れ等」、と解釈し、推論を進められたようです。この表現の違いは、当事者が全く反対になるので、180度方向が違うのですが、一面では、これが確認もされずに、第一審判決となってしまいました。裁判とは恐ろしいものです。原告が控訴を諦めた場合、第一審判決が確定していたのですから。
保険者の組織内にも、私の主張を正しいと判断された方が、お二人おみえになりました。その一人は、日本年金機構の時効特例第4グループの電話応対者で、いま一人は年金事務所のお客様相談室長でした。国の指定代理人の、「時効ありき」、の無理な主張は、既に内部分裂していました。
(4)第一審の判決
名古屋地方裁判所は、被告の主張のほとんどを認め、次のように判決理由を記述(一部要約・記載省略あり)しています。
本件支分権については、時効に関し、改正前の国民年金法に規定がないから、会計法の適用を受け、支分権は、その「権利を行使する時」(民法第166条1項)から、5年を経過したときに順次時効消滅するものと解される。(会計法30条、31条1項後段)
そして、上記の「権利を行使することができる時」とは、権利の行使について法律上の障害がなくなったとき、すなわち、権利の内容、属性自体によって権利の行使を不能ならしめる事由がなくなったときをいうものであって、権利者の疾病等主観的事情によって権利を行使し得ないとしても、それは事実上の障害にすぎず、時効の進行を妨げる事由にはならないというべきである。
裁定及び支分権の性質については、裁定がされる前は、支分権については、裁定を受けない限り、現実に給付を受けることはできないものの、国民年金法が、受給権の発生要件や年金給付の支給時期、金額について定めており(法18条、30条、33条等参照)、裁定は前記のとおり、確認行為にすぎないことなどに鑑みると、年金給付の支給事由が生じた後は、受給権者がその受給権について、長官の裁定を受けていないとしても、支分権は、その支給事由が生じた日の属する月の翌月から支給を始めるべきものとして、順次発生しているものと観念することができる。
他方、受給権者は、基本権について、長官に対し、裁定請求をし、長官の裁定を受けさえすれば、直ちに支分権を行使することができるから、支分権については、権利不行使の状態が継続していると見ることができる。
受給権者において裁定請求をすることは、国民年金法が年金支給の前提として当然に予定するところであるから(法16条)、裁定を受けていないことが、支分権の消滅時効との関係で、法律上の障害に当たり、時効の進行の妨げになると解することはできない。
原告は、国民年金法18条3項ただし書及び東京高裁判決(昭和46年7月29日)を指摘して、消滅時効は完成していない旨主張する。しかし、このただし書は、裁定請求の手続の遅れ等により、本来の支払期月に支払われなかった年金の支給時期について定めたものであって、時効消滅した年金の支給時期を規定するものとは解されない。
東京高裁判決は、申告又は更正若しくは決定により納税義務が確定する法人税の徴収権の消滅時効に関し判断したものであり、受給権の発生要件や年金給付の支給時期、金額について国民年金法で定められた支分権の消滅時効が問題となる本件とは事案を異にするものである。したがって、原告の上記主張は、いずれも失当である、と判断しました。
個別具体的事件の主張に対しては、問題の時点で,既に心神喪失の常況にあったと推認するにとどめました。被告の主張には多くの矛盾点がありましたが、それらは判決上問題とされませんでした。原告側の完敗でした。
(5)控訴審での控訴人(著者)の主張
第一審の結審後、控訴人(私)は、本件支分権の行使不可能の実態を裁判官にお伝えする方法として、この支分権(本件基本権についても言える)は、停止条件付き債権である旨の主張をするのが最適であることに気付きました。詰まり、受給権は、法定の要件が充足された時に発生(国民年金法第30条)するが、障害基礎年金の場合、裁定請求時には、障害等級に該当するかどうかも未定で、例え、主治医が該当すると認定しても、これは効力がなく、保険者の指定した医師等が認定する必要があり、かつ、該当する場合でも、裁定請求前には、1級、又は2級の障害等級は分からず、金額も分からないので、具体的請求権である支分権を、受給権者が請求することも、保険者が支払うこともできないのです。裁定請求時における障害年金支分権債権は、正に、債権の効力発生を、将来の成否未定の事実にかからしめる方法に合致しており、停止条件付き債権そのものだという趣旨の主張をしたのです。厳密に言えばこれは法律的に正しい表現ではないかもしれませんが、事の本質を伝えるのに一番良い方法だと判断したのです。
この気付きは、被告(被控訴人)の主張自体に、条件未成就、及び期限の未到来は、消滅時効の進行上、法律上の障碍に当り、時効進行の停止事由になる旨自ら認めていた主張があったので思い付きました。本件裁定請求時に原告の置かれた事情は、その両方の要件に該当します。この状態で本件支分権の行使ができる筈がありません。情報の絶対量、及び訴訟担当者のスキルの差は歴然としており、相手方が格段上です。残念ながら、私は乙号証(相手側提出書証)の逆利用、及び相手側の主張の矛盾点を突くのが最大の武器でした。
(6)控訴審での被控訴人(国)の主張
第一審の判決が正に正しい判断をしている旨の主張で、本件の一般論について、これと言った新しい主張はありませんでした。
(7)名古屋高裁の判断・判決
名古屋高裁は冒頭記述のとおり、障害年金については、史上例にない画期的判決を下しました。停止条件付き債権という法律用語は一切使用しませんでしたが、実質的には私の主張を全面的(遅延損害金相当額の計算の起算日については、「原告が拡大請求した裁定請求月の翌月初日」、ではなく、「裁定が受給権者に通知された時点である」、と判断されましたが、私の拡大請求との差は、僅か1か月でした。私にとってこれは問題ではありません)に認めていただけたのです。そして、国の主張は、高裁判断と違った主張を縷々述べるが「理由がない」、とことごとく斥けられました。
しかも、この判決の根拠として、本村年金訴訟・上告審 事件番号 平 3(行ツ) 212号(最判 平成 7.11.7:寡婦年金と老齢年金の支給調整(選択)の問題で、裁定の性質、及び支分権の取得時期について、名古屋高裁の判断と同じ考え方を説示しているもの)を確認し、その考え方が正しいとしました。私は、自分の主張に確たる自信があった訳ではないので、不安との闘いでした。名古屋高裁のこの自信に満ちた判決に大満足です。
正義を実現する画期的判決が下されました。この価値は、受給権保護上絶大なものです。もう少し、何が画期的かを記述します。紙面の都合上、3項目を箇条書するにとどめます。@「裁定が単なる確認行為にすぎないことを考慮しても、裁定を受けない限り、支分権は、未だ具体化していないものというほかはない」、A「本件不支給部分についての消滅時効の起算点は、本件裁定が控訴人に通知された時点であるというべきである」、及びB「裁定を受けていないことは、支分権の消滅時効との関係で、法律上の障碍に当たり、時効の進行の妨げになる」、です。
(8)同様の最高裁判例及び同様の考え方を説示した社会保険審査会裁決
上記(7)で記した本村年金訴訟・上告審の判例には、遺族の未支給年金の請求に関し、裁定の性質と支分権の権利の確定時期について、「国民年金法第19条1項所定の遺族は、社会保険庁長官による未支給年金の支給決定を受けるまでは、死亡した受給権者が有していた未支給年金に係る請求権を確定的に取得したということはできず、同長官に対する支給請求とこれに対する処分を経ないで訴訟上未支給年金を請求することができないものといわなければならない」、と判決理由で述べられています。
社会保険審査会の裁決書(平成20年(国)第330号)当審査会の判断には、寡婦年金と老令年金の支給調整(選択)の問題では、平成14年(国)第61号事件で説示された社会保険審査会解釈を踏襲し、「国民年金法第16条は、給付を受ける権利は、その権利を有する者(受給権者)の裁定請求に基づいて社会保険庁長官が裁定する、と定めており、この規定の文言からすると、裁定の法律的な性質は、既に存在する受給権を確認する行為であると解される。しかしながら、実際に給付を受けるためには裁定を受けることが不可欠であり、裁定を経ることなく受給権を行使することはできないことは法の規定の体系から見て明らかであるから、裁定を経る前の受給権なるものは実態的な権利であるとはいうものの、裁定の性質は、実質においては裁定請求権に近い、現実的な実効性の希薄なものである。このような実効性の希薄な年金受給権について、裁定を経ない状態のままで、法令上の支給月の到来により個々の支分権まで発生するとするのは、事柄の実体から乖離した観念操作の嫌いがあり、容易に首肯することはできない。
このことは、特に、支給の繰下げの申出が可能な老齢基礎年金においては、現実に(支給繰下げの申出を伴うこともある)裁定請求があるまでは、支分権が発生するかどうかも、その内容も確定しないことになるが(法第28条、国民年金法施行令第4条の5参照)、前記主張のような見解に立ちつつ、このような例外を認めることは、甚だしく 一貫性を欠いた法制度を認める結果となるものであり、それよりも、常に裁定があって初めて支分権が発生すると簡明に解する方が勝っているといわなければならない。以上に加えて、・・・」、と述べられ、裁定、及び支分権の性質を分かり易く説示しています。
なお、私は、最高裁判例、及び裁決書の情報を、本件の名古屋高裁判決に関する内容を中日新聞のWeb版の記事で読まれた大阪の仕事熱心なある社労士の方からのメールにより知りました。後者については、月間社労士の2009、4号に中林史枝社労士のレポートとして裁決内容の詳細が掲載されています。これも余談ですが、昔は、裁決集が市販されていましたが、現在は市販されておらず、我々が入手することはできないそうです。社会保険審査官の所で閲覧は可能だそうですが、電話照会の結果、代表事例のみの掲載で、しかも、事件番号は掲載がないことが分かりました。かつ、平成19年版が最新版との回答で、本稿で照会した平成20年の裁決書は、閲覧もできないのが現状でした。なおかつ気になる発言もありました。それは、「内容によってはお見せすることができないものもある」、との発言です。我々社労士は、正に最先端を走っているこの月刊社労士をゆめゆめ疎かにすべきでないと痛感しました。
4 上告の不当性及び我々が当面採るべき措置
被控訴人(国)は、5月2日付で、上告受理申立書を提出しましたが、 上記3で記述したように、本件一般論について、既に正しい考え方が最高裁で示され、かつ、社会保険審査会においても3回も同様の考え方が説示されていることを踏まえれば、一刻も早く次善の対処策を考えるべきです。
長官や、社会保険審査官が同じ過ちを繰返すので、同様事件3回目の裁決書には、裁決書としては異例の、「遺憾の意の表明」(「社会保険庁長官は、前記当審査会解釈を一旦は受け入れ、平成18年(国)第110号事件では、当審査会裁決前に、自ら処分を見直し、本件と同様の事情にある寡婦年金請求者にそれを支給した。しかるに、本件においては、何らの事情変更がないにもかかわらず、当審査会解釈で否定された本件保険者解釈を再び持ち出した。当審査会としても、このような現実を目の当たりにすると、その原因が、仮に、実際に本件裁定請求手続を担当したC社会保険事務局C社会保険事務室長限りの問題であるとしても、これは社会保険庁の内部統制に問題があるのか、又は、当審査会の裁決を受けて、改めるべきは改めるという姿勢が欠如していると見ざるを得ないので、改めて遺憾の意を表さざるを得ない。また、審査官も請求人から当審査会の存在を指摘されながら、それについて検討することなく、漫然と本件審査請求を棄却したことは、請求人から、その職責を十分に果たしていないと批判され、その責任を追及されてもやむを得ない面がなきにしもあらずと言わざるを得ず、はなはだ遺憾であることを、敢えて指摘しておく。」)がされています。
この両機関の考え方を誰よりも尊重しなければならないのは、国であり、厚生労働省である筈です。本件については、個々の具体的事件としても事実認定は終っており、被控訴人が上告しなければならない事由は全くありません。考えられる事由は、同様の事例の対処策を考えるための時間稼ぎだけです。このような事態は、私は既に第一審で警告を発しています。今更時間稼ぎが許される環境ではありません。私に言わせれば、このような不当訴訟(民法第709条根拠)類似の行為は、訴権の行使というよりは、権利の濫用に当り、国は即刻、上告を取下げ、被害者の掘り起こし、及び自主的な救済策を考えるべきものと確信しています。国民が年金制度に強い不安を持った状態で、保険料納付率を上げることはできません。共同通信社の取材に対し、年金局事業管理課は、「適切に対処していきたい」、と取材に応じていますが、上告という対処は全く適切ではありません。保険者(国)の、「時効ありき」、の考え方は、とても容認できるものではありません。最高裁へ上告されれば、棄却される場合でも、半年近く要するのが通常です。これでは問題を大きくするのみです。
本件の社会保険事務所への説明・請求に始まり、上告までの保険者(国)の対応は、度重なる悪循環の繰返しでした。今まで行ってきたことを根底からやり直すことは大変なことですが、過ちに気が付いた時点でできるだけ早期に対処するのが保険者(国)の採るべき正しい姿勢です。私は上手く表現できませんでしたが、保険者(国)の考え方が間違っていることを、社会保険審査会が的確に表現しています。「このような実効性の希薄な年金受給権について、裁定を経ない状態のままで、法令上の支給月の到来により個々の支分権まで発生するとするのは、事柄の実態から乖離した観念操作の嫌いがあり、容易に首肯することはできない」、の部分です。これ以上明解な表現はどこにも見当りません。この内容は、私が言いたかった内容そのもので、真に的確な表現です。
保険者(国)がこれ以上誤った主張を繰返せば、「遺憾の意の表明」、では治まらなくなります。今度は、国(厚生労働省、及び法務省)、に対して「内部統制に問題がある」のか、又は、当審査会の裁決を受けて「、改めるべきは改めるという姿勢が欠如している」と見ざるを得ないことになってしまいます。関係者には、しっかり目覚めていただきたい。
上告受理申立書を見ると、国は指定代理人を12名に増やし、本気である旨を示していますが、今まで合理的な理由を何一つ主張していません。本件事案は、原告本人が成年被後見人である障害基礎年金の問題ですから、過去の事案よりも裏付けとなる事実関係は分かり易くなり、既述の最高裁判例、及び裁決書の内容を覆す主張ができる筈がありません。加えて、本件では論争とまでは至っていませんが、本村年金訴訟と同様、本件においても老齢基礎年金(加給年金額、及び振替加算関連)と障害基礎年金の選択の問題、及び説明責任の問題もあります。上告受理申立書の指定代理人を選んだ責任者、及び12名の指定代理人の誰一人として、前掲の裁決書を見ていないのでしょうか。実に明解に説示し、誤解の生じる余地はありません。主張の正当性は、指定代理人の数の問題ではありません。
今までの保険者(国)の対応姿勢からすると、本件判決が確定しても、保険者(国)が、自主的な救済策を講じないことも十分考えられます。この場合、名古屋高裁の考え方をもってしても、裁定が受給権者に通知された時点から、5年を超えてしまえば、例え、10年分(2級該当で約800万円)でも、15年分(2級該当で約1,200万円)でも、すべて一瞬にして本件支分権の消滅時効は完成してしまいます。(上記により本稿内容の公表は緊急性があり、最高裁の裁断までには早くても半年近くを要することが予測され、かつ、前記(8)が把握できたので、私は、判決確定前の寄稿を決意しました。)
現実の社会を見た場合、今日現在から最高裁が判断を下すまでの間にも、消滅時効が完成してしまう事案が幾つも発生する可能性は十分あります。その場合、保険者(国)はどのような補償をするのでしょうか。原因は、保険者(国)の誤った法律の運用・解釈であることを十分認識した対処策を打ち出してほしいものです。
一方で、我々社労士は、自ら係わった事件、又は知り得た事件について、同様の事情で不支給とされ、裁定日から5年経過が迫っている事案については、受給権者等と相談のうえ、当面、消滅時効を中断する措置を採る必要があるものと考えます。具体的には、内容証明郵便で、日本年金機構に対し、この分の支払いの請求をしておくべきものと考えます。それでも保険者が支払わない場合は、金額等にもよりますが、6か月以内に、裁判上の請求をする必要があります。
※ 裁判上の請求みなし
時効の進行については、社会保険審査官や社会保険審査会への審査請求も、裁判上の請求同様 に、時効中断事由とされていますが、却下や取下げの場合は、この適用がありません。前掲(8) からすると、社会保険審査会が却下することは考えられませんが、社会保険審査官が却下する可能 性は十分考えられます。私が経験したように、原処分を裁定であると判断されてしまうこともあり ますし、内容証明に対して回答文書がなかった場合は、不作為が処分であるのか、ないのか等別の 問題が発生してしまう可能性もあります。
5 拡大解釈の危険性について
平成24年4月21日(土)の日経新聞の地方版、又は中日新聞の本件名古屋高裁の判決に関する記事を見た関係者が、保険事故の有無、及び時期が明らかな老齢年金や遺族年金についても、類推適用されるものと考え、各方面に照会をする動きがあったと聴いています。本件事件はあくまで、個別具体的事件に対する判決ですので、安易に拡大解釈することは、今の段階では問題があります。受給権者が権利を行使しようと思えばできる事案にまで、この考え方を拡大する合理的理由はないものと私は考えています。
※ 本記事のタイトルを「寄稿草案」、とした理由
私は、本日現在、月刊社労士への寄稿自体を、一刻も早くすべきか、判決が確定するまで待つべ きか迷っているので、本タイトルを「月刊社労士への寄稿草案」、としました。寄稿し速やかに掲 載されれば、既に、同様の内容について最高裁判例があるとはいえ、未だ係争中の事件を公的な月 刊誌に公表することになり、判決確定まで待てば、今度こそ本当に消滅時効が完成してしまう人が 現われてしまうから悩ましいところです。この判断は、連合会がすれば良い事かもしれませんが、 連合会としても、これを知れば救済される人を見捨てるのも、自らの監督官庁を批判する内容を判 決未確定の内に掲載するのも、行い難い面があります。中林先生の寄稿内容も類似のものですが、 事件が確定してからの寄稿ですし、行為の主体は監督官庁ではありません。しかし、権利保護の側 面も大きく、考えようによっては、監督官庁だからこそ、改めるべきは早期に改めてほしい側面も あります。この判断を連合会に預ける前に、今しばらく考えることにしました。
愛知会 木戸 義明
2012年06月02日
月刊社労士寄稿草案 障害年金の裁定の性質
posted by 326261(身にロクに無い:身に付いていない:電話番号!!) at 23:20| Comment(2)
| 1 障害年金
先生のがんばりに心から応援します。
正目悦時効では最高裁平成16年4月27日判決(じん肺訴訟と消滅時効)もお役に立つかと考えます。