2023年08月26日

国文学者の多彩で深淵な才能


今週は 3日間ほどを 費やし 平成30年2月6日に突然亡くなった妻の残した 古い書物を持ち出してきて 一通り 通読した

この書籍は 『 文論中心 口語文法 』島田勇雄 明治書院 初版 昭和38年5月5日 昭和41年6月30日 4版発行である

裏表紙の 妻のメモによると 大学3回生の時に 購入した ようである

妻は 昭和39年4月入学 昭和43年3月卒業だから 3年生は 昭和42年 となるので 第4版が出て 1年ほどしてから 面白かったからか 必要を感じてかで 購入したようである

著者は 1911年 広島県生まれ 東京大学 文学部 国文科卒 当時は 神戸大学 文学部 助教授 であったようだ

著作物としては 『万葉集の解釈と文法 』『保元物語・平治物語』 が紹介されている

この本の内容については このブログで書ききれないので 割愛するが この書籍には 既に私の引いた朱線があり 一度 読んでいるような痕跡がある

小口の辺りは 日焼けで 茶色く 焦げており 紙も 相当に 弱っている

なぜ また この書籍を 読む気になったのかであるが 必要を感じたからであり 著者の多彩な才能に 尊敬の意を表しているからである

多くの著名な 文学作品の 文例を引用し その使われ方 文法上の意味 等を 説明するだけでも 膨大な 基礎知識がないとできないことである

加えて言えば 多くの学説の違いを頭に置いて それらを評価し 自説を述べるのであるから 並大抵のことでない

後者については 法律の世界でも 学説 や 判例について 同様のことが言えるが 国文学においては 更に その緻密性が高いように感じられる

また 例 問 等を随所に設け 多くの大学の 入試問題も紹介しているが これらは並の努力ではできないことが 痛感される

自然に頭が下がる 思いであるが これに比べ 私が 日頃 仕事で 接する 行政事件 に係る裁判官の 屁理屈には 辟易 させられている

このことについては 瀬木比呂志( 2015.1.20)
『 ニッポンの裁判』講談社 現代新書 によると 「行政事件について まともな審理を行う裁判官は 10に1人である。」( 161頁 8列目)と 紹介されているが これが 改善される 見込みのないことに 暗澹たる思いを抱く

普遍性も必然性もない理由を付けて自己の思っている方向に結論を持っていく強引さには日頃うんざりしている


書籍の内容については割愛する と言ったが 以前 このブログでもテーマにしている 「が」 と「は」について ほんの少し 紹介する

「が」は 大体 述語が分っていて 主語についての説明を求める助詞

「は」は 主語が分っていて 述語についての説明を求める助詞

「が」は未知のことに 「は」は既知のことについて用いる

「が」は述語に重点が「は」は主語に重点がある

「 が」 と「は」の違いの他の点は それらが かかってゆく 距離の 遠近にある 「が」は短く 「は」は長い
posted by 326261(身にロクに無い:身に付いていない:電話番号!!) at 09:43| Comment(0) | 13 社会・仕組み
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