第3 現在の運用を放置できないことについて
1 原審の違法は行政不服審査法の趣旨・目的を没却させるものであることについて
現在の被告の取扱い及び原審の結論は、社会保険審査官及び社会保険審査会法においても受理されるべき事案について、補正指導も教示もせずに、不服に正当な理由のある場合でも、全て受付さえしないというものである。
これは国民の重要な権利を侵害する行為であり国の行為として許されるべき行為ではない。
社会保険審査官及び社会保険審査会法及び行政不服審査法の目的を考えた場合、不服を認めるべき理由がある可能性が少しでもあれば、これを入口から閉ざしてしまうことは、上記両法の趣旨・目的を没却せしめることとなり到底許されることではない。
不服を認めるべき明らかな理由がある事案の存在については、既に述べたが、その事案の理由が、認めるべき理由であるかどうかは、審理してみないと分からないのであるから、これを審理もせず門前払いすることは違法であると原告は主張しているのである。
この違法を改めるのに、「本題」のように法律の改正は要しない。従来、単なる事実行為として却下しており、教示もしなかったのであるが、これを含め教示を実施して、窓口を統一するだけのことである。
2 原審は明らかに公平性に欠けることについて
以上の原審裁判官の判断は、明らかに公平の原則に立っていない。これは、司法の独立を自ら放棄したに等しく、「百害あって一利なし」の行為である。
裁判所が、「本題」について、国を庇うのは、善悪は別として、何らかの意義があるかもしれない。しかし、入口論について国を庇っても、害にこそなれ、国にとっても何の有益性もないことである。
原告は、本訴を提起するに当っては、民衆訴訟の可否についても検討したが、それが無理であったので、国家賠償法の形を採ったまでのことで、本訴の本当の目的は、国に行政不服審査法の適正な運営を求めるものである。従って、特に公平な判断を求めるものである。
これは、当たり前のことであるが、原審では守られなかったことであるので、控訴審においては、法に則り、客観的に公平に判断していただきたい。
3 国は支分権消滅時効に係る提訴を容易に防げたことについて
(1) 国は基本権の時効を援用しないと決めた時に遡及支払いについて支給制限を定めるべきであったことについて
国が、障害年金の支分権について、無制限支給を適当でないと考えるのであれば、基本権について消滅時効を援用しないと決めた時に、遡及支給の場合の支分権については支給制限をすべきであった。それは容易にできることであったと思われるので、それをしなかった責任は国が負わなければならない。
(2) 「本題」に係る問題の本質について
「本題」については、本訴とは直接関係しない事柄ではあるが、大きな関係を持つ事柄であるので、簡潔に説明する。
「本題」は、障害年金の支分権消滅時効の問題である。従って、支分権は、一定の支払期月の到来によって発生するものとされているので、初診日も確定していない裁定前に支分権に係る時効消滅の要件事実は存在しない。要件事実さえ存在しないのであるから、これは、消滅時効の問題ではない。
しかし、ほとんどの関係者が、裁定が遅れた場合にも、満額(無制限)支給をすることは適当でないと考えている。被告国もほとんどの裁判官も同じである。
訴訟では、時効の完成の成否が争われることとなるので、ほとんどの裁判官が上記の満額(無制限)支給を否定する考え方から、結論ありきの判決を下す。
被告の主張を認めた形にはなっているが、裁定さえすれば支分権は行使できる等といった明らかに事実と異なる無理な判決理由を強行し、事実誤認や判断誤りが見られる。
なぜ、無理が生じるかというと、「本題」の本質は消滅時効の問題ではなく、遡及請求が認められた場合のあるべき支給期間の問題であるからである。
現在、国年法第18(厚年法第36)条1項には、「年金給付の支給は、これを支給すべき事由が生じた日の属する月の翌月から始め、権利が消滅した日の属する月で終るものとする。」と定められている。
この規定からは、遡及請求が認められれば、当然に満額支給となる。
しかし、この問題を考えるとき、国が基本権の時効援用権を放棄していることを見逃してはならない。
国は、裁判において、これを公にしていないので、ほとんどの裁判官が、別の無理な判決理由を述べて国を勝たせているのである。
国が時効援用権を放棄していることとの調整は合理的で納得できる事柄であるので、これに反対する国会議員は一人もいないものと思われる。立法の障碍になる事柄ではなかったのにも拘わらず、これをしなかったのは、受給権者ではなく国自身である。当然、これをしなかった不都合を受給権者に負わせてはならない。
上記の調整は、国年法第18(厚年法第36)条1項にただし書を設け、「ただし、年金を遡って支給する場合は、遡及10(又は20)年間分を限度とする。」と法律を一部変更しておれば何の問題も起こらなかったことである。
第4 本題について「決着がついた」との論評は正解でないことについて
平成29年10月17日最高裁判決(44号判決)が出されたことによって、障害年金の支分権消滅時効が裁定前に完成しているかどうかの問題(「本題」)については「決着がついた」と論評する弁護士もいるようであるが、未だ決着はついていない。
第一、この判決は、「裁定前に時効消滅することがある」と判示しているが、当然のこととして、「全てのケースで裁定前に時効消滅している」と判示しているわけではない。
この判決は、平成7年最高裁判決(212号判決)を改変引用している等として、訴追請求状が提出されており、その訴追請求状の内容は当を得ている。
かつ、今なお、多数の係争中の裁判があり、その中で、被告の主張の推論の出発点となる民法第166条1項の「権利を行使することができる時」の解釈が誤っていたと主張されており、これに対する反論が出されていない現状にある。
参考までに、「本題」に関する運用に係る違法について簡記する。
1 年金法にも会計法にも権利行使できない権利を時効消滅させるなどといった法の趣旨はないのであるが、基本権に対する権利不行使を支分権に対する権利不行使があったとして取扱っている。
2 裁定請求は、いつまでに行わなければならないという期限はなく支分権は支払期月の到来により発生するとされているので、そもそも、裁定請求遅れは、支分権に対する権利行使又は権利不行使とは無関係である。(但し、この場合の支払期月の具体的解釈については、原告と国では異なっている。)
3 基本権と支分権は独立した権利(青谷和夫論文)であり、被告国もそれ自体は認めているので、この権利の混同は明らかに違法である。
4 被告国は、上記の権利の混同を正当なものであると根拠付けるため、民法第166条1項の「権利を行使することができる時」の解釈を、「債権が成立した時」としているが、これについては平成の時代まで、原告側も誰一人として反論できなくて、この解釈を認めてきていたところであるが、最近になって、この解釈が間違っていることが判明した。正解は、国年法第18条3項が、期限の定めをした規定であること等から、「期限の到来時」又は「条件成就時」であるので、被告国の主張する権利の混同は論理に飛躍のあることが判明した。従って、本件支分権は、裁定前には、期限未到来の債権であり、条件未成就の債権である。
5 支分権の支払期月は、国年法第18条(厚年法第36条)3項但し書であり、具体的なその支払期月は、裁定のあった日の属する月の翌月の一つである。
6 障害年金の裁定請求には、初診日を証明できる書類及び診断書の提出義務があり、これは法定条件であるので、裁定前には条件未成就の債権である。
7 「法定条件も条件の規定が類推適用される」という主張事実が無視されている。
以上重要な部分のみを抜粋して述べたが、これらの事情だけからでも国の運用が違法であることが証明されている 。
なお、被告国は、障害年金についても、裁定請求さえすれば、支分権に結び付くと主張しているが、年金事務所の取扱い誤りによって、初診日が特定されていないから受付けできない(障害年金キットが用意されるまでは、ほとんどの場合、請求様式さえ渡されていなかった)とか、障害等級認定における裁量によって棄却されている事実は顕著な事実であるので、国の主張は事実とは異なる。障害等級認定基準には、多くのカ所で、「総合判断」が規定されているので、裁定に裁量権のあることは明らかであるが、被告国は、こと、消滅時効については、裁定請求さえすれば給付に結び付くと主張するために、裁定に裁量権はないと主張し続けている。
以上
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