令和2年1月15日、名古屋地裁岡崎支部において、単独制の裁判ではあるが、標記について、明らかに国に味方した棄却判決が下された。想定の範囲内のことではあるが、残念なことである。これはあってはならないことであるので、最高裁まで争い逆転させる。
理由は、争点のすり替えと、一般論としていえることを事案の異なる本件に当て嵌めたことである。
これは、裁判の体をなさない余りに酷い判決であるので、後日、これに対する控訴理由書(案)を何回かに分けて公開することにする。
本日は、この誤判決の概要を紹介する。
この裁判では、裁定の内容としてなされた年金決定通知書への「付記」の行為、詰まり、「裁定とは、切っても切り離せない、年金決定通知書に同時不可分一体として一件の例外もなくなされた時効消滅した旨の付記の行為」の行政処分性を問題としたのですが、それを、「本件通知」と定義してまで、別の物として、単なる事実行為であるから、行政不服審査法の対象とはならないと判示したのです。
本件年金支分権の消滅時効については、「裁決例による社会保険法」を著し、年金支分権の消滅時効については第一級の見識をお持ちの加茂紀久男氏が、支分権時効問題も不服申立ての対象となると判断しているのは、本件「付記」を裁定の内容と考えているからです。
にも拘らず、この判決は、「会計法31条1項後段により、その消滅時効については時効の援用を要せず、また、時効の利益を放棄することもできず、時効消滅の効果は絶対的に生じるものとされていた。」との前提事実(当事者間に争いがないか当裁判所に顕著な事実)を置いて、棄却したのです。これは、時効が完成してる場合に初めていえることですので、この手法は、論理法則にも経験則にも反し、基本からして誤っています。
時効の援用は、どんな場合であっても、消滅時効が完成して初めて問題になる事柄であり、未だ時効消滅していない本件異議申立て事件、又は、時効消滅していないと主張している「本件異議申立て」については、「援用を要せず」の規定は、全く関係しない。従って、本件支分権は、会計法が適用されるからといって、順次自動的に消滅し、その効果が絶対的に生じることは絶対にあり得ない。
ここまで無理をして国を勝たせる必要はどこにあるのだろう。瀬木比呂志教授がいうように、最高裁や最高裁事務総局の意向を忖度してのことだとしたら、それは本件を担当した裁判官の思い違いである。
本題について国を勝たせることは、国にとって有利な側面はあるが、入口論について国を勝たせても百害あって一利なしである。
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