先週の記事内容について、あるお客様から、次のようなコメントをいただいた。
「いつもお世話になっています。
障害者の障害等級は、誰かが認定しなければ決まらないと思いますが、行政行為が事実行為だとすると、障害等級を認定するのは、行政ではありませんよと言っていることになるのでしょうか?だとすると、いったい誰が障害等級を認定するのでしょうか?ここらへんで、行政の言っていることはおかしいと思います。
間違えていたら、すいません。」
通常に考えれば、おっしゃるとおりの疑問が生じます。素直な疑問で、その疑問が生じるのは国の推論におかしな点があるからだと私は考えます。だからこそ、私は、同じように考えれば、年金事務所の職員が説明もできない理屈は間違っていると断言したのです。
障害年金の認定は、裁定という行政処分で行われており、現在は厚生労働大臣(以前は、社会保険庁長官)が行っています。
国の説明では、これは単なる確認行為で、裁量権はないとしています。私は、裁量権のないのは、老齢年金だけで、障害年金には裁量権があると主張していますが、今のところ、裁判所までが裁量権はないとしています。
障害認定基準には、幾重にも、「総合判断」があり、厚労省の公表資料でも、著しい地域格差が認められ、3年間の平均不支給率が12.5%もあったのですから、裁定に裁量権のあることは明白です。
なぜ、こんな不合理な運用になってしまったかを考えると、平成7年11月7日の本村年金訴訟上告審判例にその旨の表現があるからです。しかし、それは、通算老齢年金について書かれた部分であり、障害年金とは事情が異なるのですが、裁定に係る規定が同じであるので、頭の固い裁判官は、異なる理由は見い出せないと判断してしまうのです。
規定に根拠を見付けるのであれば、裁定に係る規定ではなく、支給要件に係る規定の違い(国年法26条VS30条)を確認すべきなのですが、これが、高裁で「裁定には裁量権はない」と判断されてしまうと、実質的には、これを覆すことは不可能に近いのです。我が国では三審制を採っていますが、民事訴訟では実質二審制と言っても過言ではない現状なのです。
この事件で、私が問題にしている年金決定通知書への時効消滅した旨の「付記」ですが、仮に、国が主張するように、裁定と切り離して行われた場合でも、担当した国家公務員は法に従った行為しかできないので取扱要領等に基づき行っていることとなります。
その取扱要領は、厚生労働大臣の意思そのものであるので、この行為が行政処分でないなどと言ったことは法律的解釈としてはあり得ないことです。
従って、これらの行為は、不服申立ての困難な障害者に対して国が行う姿勢とは言い難く、一人でも多くの職員が、改善の必要性を感じてほしいところなのです。
本日は、社労士の日(12月2日)の記念事業として行われている無料相談会に出掛ける。愛知県社労士会では、先週と今週の土日で、各支部2〜3カ所で行われているが、成年後見については、2年前から(今年で3回目)各支部1カ所に限定して実施している。
私の所属する三河中支部については、他の会員に任せて、私は今年も三河西支部(刈谷市アピタ会場)の応援である。時間に余裕があれば、現場の様子をfbに投稿させていただく。
タグ:単なる確認行為、裁量権
木戸様は、
「国の説明では、これは単なる確認行為で、裁量権はないとしています。
私は、裁量権のないのは、老齢年金だけで、
障害年金には裁量権があると主張していますが、
今のところ、裁判所までが裁量権はないとしています。」
とする箇所を拝見すると、わざわざ論点を反らされているとみられます。
つまり、事実行為に対し、行政行為という漠然とした定義をさり気なく持ち出し、事実行為の一種であるとするのは、騙しのロジックであるからです。
通常は「事実行為」に対し、「法律行為」と区分するのではないでしょうか。
そして「法律行為」の一つの類型として「行政処分」があります。「行政行為」というと、「事実行為」だけではなく「法律行為」も含んだ漠然とした定義・概念です。通常「行政行為」という文言はあまり使われません。ですから、半分は間違っていないので、概念の差替が可能になり、騙しのロジックが展開しやすくなります。
法律行為は、通常、民法上の「不文の法」とされている「意思の発動」によって成立し、有効に作用します。
意思の発動は、幾つかの事実行為の集積によって成立します。例えば、行政当局の内部意思決定の為の「年金支給の決裁書の作成行為」、これを経て、相手方に通知するための「郵便物の発送」や「郵便物の受理」が挙げられます。この「決裁書の作成」や「郵便物の発送」や「郵便物の受理」という事実行為が集積し、意思の発動たる「行政処分」が執行されたことになります。
従って、「事実行為」と「法律行為」とに区分して論議を進めないと、各々の主張をに乱を生じさせることができます。行政当局は、これを延々と続ければよいことになるので、騙しのロジックと言えるのではないでしょうか。
次に「年金当局に裁量権がない」とするのも、騙しのロジックとなっています。
事実行為に対して裁量権がないのは、正しい定義だからです。先の「決裁書の作成」や「郵便物の発送」や「郵便物の受理」自体に裁量権を働かせることの意味はないからです。
問題は、行政処分を行政行為という定義に置き換えて論じているところにあり、行政行為は事実行為を含むので、行政行為には裁量権ないという”見事な”騙しのロジックが展開できてしまっているとみられます。
「行政処分」という意思の発動については、裁量権を働かせる余地は多分にあります。公的年金における行政処分は、民法及び国民年金法を主体とした法令に従って執行されるべきものです。これは、法律に基づく行政の運営と称され、これに反し、法令を逸脱した裁量権の発動をすると国民年金法に違反し、強いては、憲法違反となります。法令を逸脱して発せられた行政通達や行政実例も、当然に法令違反となります。これらの法令又は通達のどこに法令の逸脱があるかを指摘しないと、問題の解決にはなかなか至らないのではないのでしょうか。