2019年10月19日
楽しみな民法の解釈誤りの指摘に対する国の反論内容
昨日、先週お話しした厚生労働大臣への異議申立てへの却下の違法を訴えた国家賠償法に基づく訴訟の第2回期日があった。
主な内容は、被告の第1準備書面の陳述と乙号証の提出確認であり、次回期日を決めるだけであったので、2〜3分で終ってしまった。次は、原告が、来月11月22日(金)までに第1準備書面を提出し、第3回期日は、11月29日(金)と決まった。
本日は、入口論ではなく、本題の話なのであるが、これを引用したのは、この事件での被告の主張が、基本的・根本的な重要な部分で従来の主張を変えてきているからである。
変えてきたのは、令和になってから、今まで議論になっていない「正しい支払期月」、及び民法第166条1項の「権利を行使することができる時」の解釈誤りを原告側が主張しだしたからだと思われる。
被告の主張は、従来、「裁定を受けていないことは法律上の障害には当たらず」(東京地裁 平成28年(行ウ)第601号 障害厚生年金支給請求事件の平成29年3月31日付け被告準備書面(1)19頁11行目等)と主張してきたものを、今回は、何食わぬ顔をして、「裁定がないことは、法律上の障害であるとしても、…」(10頁12行目)と重要な部分で主張を変更してきたのである。
これが直ちに壁を突破したことにはならない、なぜならば、被告は、「裁定がないことは、法律上の障害であるとしても、権利者が自分の意思で除去できるものであり、そのような場合は、権利行使が可能であるというべきである。」、との主張をしているからである。
従来も同様の主張はしていたのであるが、「裁定は法律上の障害ではない」というその前の段階で、これを裁判所が認めていたので、ここが大きな障壁になっていたのである。
被告が、本題に係る訴訟でも同じ主張をしてくるかどうかは分からないが、してくる可能性は大きい。私は、現在、本題については、4件の本人訴訟支援をしており、その内の2件については、社労士法におる補佐人を引き受け、受任弁護士と一緒に行動することとなる。私としては、第1準備書面補充書を提出する予定である。
勿論、準備書面そのものの作成には主張構成から十分な打ち合わせをして、効率的な書類作りを目論んでいる。
被告の第1準備書面が出される期限は、東京地裁のA.K様の事件については、10月25日(金)、金沢地裁のK.F様の事件については11月5日(火)、名古屋地裁岡崎支部のY.O様の事件については12月2日(月)と3件については、既に決まっており、残り1件の津地裁のS.O様の事件については、10月24日(木)の第1回期日において決められる。
仮に、同じような主張であれば、裁定という法律上の障害が、自分の意思で除去できるものではないことを証明すれば、本件支分権は時効が完成していないこととなり、これは、どこの裁判所も認めざるを得ない法理であるので、原告側にかなり有利になる。
これからは、一つの攻め口として、裁定という法律上の障害が、自分の意思で除去できるものではないことにかなり傾注される。これは、いくつもの原因があるので、これを具体的に挙げて証明していくことになる。
posted by 326261(身にロクに無い:身に付いていない:電話番号!!) at 11:21| Comment(1)
| 1 障害年金
木戸様の説明によりますと、
民法第166条1項の「権利を行使することができる時」の解釈に関し、
被告国の従来の主張は「裁定を受けていないことは法律上の障害には当たらず」(括弧内略)と主張してきたものを、今回は、何食わぬ顔をして、「裁定がないことは、法律上の障害であるとしても、…」(10頁12行目)と重要な部分で主張を変更してきたのである。
とされています。
そして従来の主張とは、
「裁定がないことは、法律上の障害であるとしても、権利者が自分の意思で除去できるものであり、そのような場合は、権利行使が可能であるというべきである。」
であったことから、今回も、
「被告が、本題に係る訴訟でも同じ主張をしてくるかどうかは分からないが、してくる可能性は大きい。」
とされています。
被告国がこのような主張を引き続き展開するのであれば、これは言葉の綾を差し挟んでする巧妙な騙しのロジックであると言えます。まともな法律家の論とは言うことができません。
即ち、年金の消滅時効の問題を、民法第166条1項の適用との関係から切り込みを入れるものですから、
@ まず、債権債務関係が成立しているか否かが、最初に問われるべきところです。
A そして、債権債務関係が成立したならば、「消滅時効の起算点を何時にすべきか」という問題として、民法第166条1項の適用に至るべきことになります。
つまり、権利の成立した局面に至って初めて、民法第166条1項の「権利を行使することができる時」が問われ、これを「法律上の障害」の存否として論じるものです。
換言すれば、債権債務関係が成立したからといって、必ずしも、この成立時をもって、直ちに消滅時効の起算点にはできない、できない場合があることを規定するものです。年金債権で法律上の障害となるものには「全額の支給の停止」があります(国民年金法102条2項…次に抜粋)。
なお、年金債権(同旨:年金基本権)と同支分権の関係について付記します。
年金支分権は、「年金債権(国民年金法の定義:年金給付を受ける権利)に基づき、支払期月ごとに支払うものとされる給付の支給を受ける権利」とされています。被告国が主張するような「年金債権に基づかない浮き草のような権利」のようなものは、消滅時効の対象にしないと明記していることになります(同102条1項…次に抜粋)。訴訟では、この1項と2項を裏付けにして年金債権と同支分権の関係を主張したら、切り込みがしやすいのではないでしょうか。
「第102条 年金給付を受ける権利(当該権利に基づき支払期月ごとに(中略)支払うものとされる給付の支給を受ける権利を含む。(以下略))は、その支給事由が生じた日から五年を経過したときは、時効によつて、消滅する。
2 前項の時効は、当該年金給付がその全額につき支給を停止されている間は、進行しない。」
さて、この権利の適用過程を被告国の主張に当てはめると、これが巧妙な「騙しのロジック」であると言わざるを得ません。次のとおりです。
B 騙しのロジック(1)
被告国の「裁定がないことは、法律上の障害であるとしても、」との主張です。
「裁定がないこと」との定義は、債権の成立する以前の状態にあることを図らずも自認しているものです。前記「@」の条件を満たしていないとの主張に等しいことです。従って、前記「A」の民法第166条1項(権利を行使することができる時)を適用する以前の局面にあり、消滅時効を論ずる以前の状態にあるにもかかわらず、最もらしく、消滅時効の起算点を論ずる誤りを侵しています。権利を行使するための「法律上の障害」すら存在しない架空の状態にあるに過ぎません。法律家の主張すべき言動ではありません。
C 騙しのロジック(2)
被告国の「権利者が自分の意思で除去できるものであり、…」との主張ですす。
まず「権利者」と言っていますが、権利の内容が不明です。
裁定請求をする前の局面において障害者の有する権利は、裁定請求権のみです。年金債権という権利は成立していないからです。つまり、民法上の債権債務関係の成立の大原則は、事務管理等の特殊の場合を除き、不文の法として、申込と応諾による諾成契約に依るへきこととされています。年金の場合では、裁定請求とこれを受けてする厚生労働大臣による裁定がこれに当たります。
権利者が「自分の意思で除去できる」のは裁定請求権を行使しようとする時に生じる何らかの障碍であり(例:規則31条に規定する裁定請求書に添付する医師の診断書が用意でず、裁定請求権すら成立しない場合)、年金債権自体は成立前なので自ら除去することができません。
D 騙しのロジック(3)
被告国の「…、そのような場合は、権利行使が可能であるというべきである。」との主張です。
「権利行使が可能である」との主張ですが、行使が可能になる権利は、前記「C」で述べた裁定請求権であって、年金債権自体ではありません。ここでは「裁定請求権」と言う定義と「年金債権」という定義をすり替えて主張するものであり、騙しのロジックの最たるものです。
元来、「権利行使が可能であるというべきである。」とする主張は、時効制度の存在理由を論ずる時に学術的に用いられる定義の一つです。既に成立している権利が前提としてあるときに論じられるものであり、成立した年金債権の「履行請求の存否」により、時効を適用することの法学上の是非を論ずるものです。権利が成立するか否かということを論じるのは、的ハズレという他はありません。