2017年10月28日

正論と曲論 障害年金の支分権消滅時効問題に対して国や裁判所の判断の根底にあるもの


障害年金支分権消滅時効問題に係る10月17日(火)の最高裁の判決に対して、私の所感第2弾をアップさせていただく。

この判決について、最高裁が悪い訳ではないが、結果妥当性においても芳しくない。「最高裁が悪い訳ではない」というのは、最高裁としては、民事訴訟法上の弁論主義に従うと、このような結果になるということである。簡単にいってしまえば、最高裁としては、両当事者の主張を聴いて、どちらを救うべきかを判断するだけのことである。例えば、原告側に重要な要素が主張されていなくても、最高裁としては、手も足も出せないということである。

弁論主義のテーゼは3つあり、その内容は、以下のとおりである。
 主張主義(裁判所は、当事者が主張していない事実を認定してはいけない。)
 自白の拘束力(裁判所は、当事者の争いのない事実は、そのまま認定しなければならない。)
 職権証拠調べの禁止(裁判所は、事実認定において、当事者の申し出た証拠のみによらなければならない。)

従って、最高裁であればこそ(私は、平成27年6月17日名古屋高裁判決においてこれに反する実例に遭遇している)なお更、主張責任を遵守するので、当事者の主張していない事実を認定できないのである。

最高裁の判決理由は、下腿部切断の障害については、「障害年金の権利発生やその支払い時期、金額等については、厚生年金保険法に明確な規定が設けられており、裁定は、受給権者の請求に基づいて上記発生要件等を公権的に確認するものにすぎない」ことを主な理由としている。確かに、それだけを取り上げれば、私も国の曲論をやむを得ないこととして認めている老齢年金と酷似している。

しかし、以下で詳述するが、身体の障害について、老齢年金のように曲論を採用すべき理由がない。

それでは、なぜ法律を最も遵守すべきである国や裁判所が、このような論外の主張や説示を繰り返すのか。

これについては、私の私見ではあるが、国が基本権について消滅時効の援用をしないこととしたことが深く係っていると思われる。実際に、平成24年(国)第264号裁決書では、「だからといって、本来、時効消滅していたはずの基本権についてはこれを検討の外におき、専ら、基本権について保険者の裁定を受けていないことを支分権消滅時効との関係で法律上の障害であるか否かを論ずること自体、本末転倒であって相当でないというべきである」(7頁13行目)と述べている。これが道理ではあるし、本音であるように私は考えている。

しかし、国や裁判所はそれを言いたくても言えないので、仕方なく、無理を承知で曲論を採用しているのである。

従って、下腿部切断の障害といえども、先週触れたように、基本権に対する権利不行使を支分権に対する権利不行使とみなすことはできないから、裁定の法的性質は行政処分(更にいえば、「社会保険関係給付の受給権が実体法上いつどのようにして発生するかは、その性質から当然導き出されるものではなく、結局、立法政策により決せられるものである」ことを国側も認めており、この立法政策は、既に定着しており、行政権でも司法権でも変更することはできない)であり、行政処分の前に具体的な権利である支分権が発生しないことになる。このことは、官会法による審査請求が年金決定から3ヵ月以内に行われていることからも明らかであり、以前から述べている主張や書証、及び判決の支払期月が抽象的観念論によって作り出されていることからも明らかである。

私は、公的年金支分権消滅時効の運用誤りを問題にしており、これは諸般の情勢から国民的議論を要する問題と確信している。

私は、この問題について、分かり易く、少しでも具体的にと思い、障害年金支分権の問題としている。なぜならば、障害年金の場合が一番大きな問題であるからである。しかし、遺族年金についても問題とすべき場合が存在する。

繰り返すが、この問題に対して、国や裁判所が採用している考え方は正論ではなく曲論である。なぜなら、年金支分権については、基本権と支分権の2つに分けて観念されており、これについては、国や裁判所も同様に考えている。そして、この二つの権利は、各々独立した権利であることは、上記同様国や裁判所も認めている。

従って、支分権の消滅時効が問題となっている本案の消滅時効が完成しているかどうかは、本来、支分権について継続5年間の権利行使があったのかどうかで判断されなければならない。それが、正論というものである。

ところが、65歳到達という誰の目で見ても明らかな保険事故に対してでさえ。速やかに裁定請求せず、受給要件満了後5年を越えた時点で裁定請求をなし、全額の年金を請求する方が現れた。

国としては、それらの方々に対しては、何度も、請求様式を送ったり、お知らせをして裁定請求をするように促している。それ故国は、それでも裁定請求を遅らせた方が満額の年金を請求するのは不合理であると考えた。

まして、お知らせが届かなかったり、行方不明の方もみえた訳だが、加入者には住所の変更届け等の義務があるので、国としては、全額請求に応じられないのはもっともな話である。

このような事情の場合、法の不備を補うかたちで曲論が生まれたものと推測されるが、これには老齢年金の場合は納得できる理由がある。

ところが、障害年金は身体の障害の場合を含め事情が違う。特に精神障害等の場合は、発症後何十年以上、自らが病人、障害者と思っていなかった人も多く、ほとんどの方は、発症初期の段階では病識がない。

また、例えば、統合失調症等の場合、精神分裂病と呼ばれていた時代もあり、社会の目や差別・偏見を恐れ、病気や障害を隠す関係者も少なくなかった。

このような特別な事情のある場合に、やむを得ず採用している例外的措置である曲論を採用すべき理由は全くなく、まして、この曲論には、障害年金の場合に推し進めるのに障害となる幾つかの事実誤認が生じているのだが多くの下級審裁判所では、それが無視されている。従って、この曲論が原則であり正論であるかのごとき主張は論外である。

この問題は、憲法第25条2項に基づき具体化した、年金法では差押えや課税まで禁止されている重要な権利であるので、その場しのぎの措置は禍根を残すこととなる。

要は、基本権について時効を援用しない旨及び支分権については、5年支給を知らせた内簡の内容を法令にしておけばこのような問題は起こらなかった。

ただし、この場合、5年が正しいのか、10年が正しいのかの議論がされることとなるであろうが、このような重大な決定では、行政が独善的な立法(正に実質的には立法である)をなすのではなく、そのような議論こそ大事なのである。

このような経緯はあるが、結論として、国の怠慢や落ち度による不具合を受給権者に負担させてはならない。
posted by 326261(身にロクに無い:身に付いていない:電話番号!!) at 13:03| Comment(0) | 1 障害年金
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