2017年10月21日

遂に出た最高裁判決 結果、社会保険審査会の事実認定に負けている


私の関係しない代理人の付いた北海道の事件であるが、左下腿部切断の障害による支分権消滅時効の成否を争う事件で、今週の10月17日(火)に、最高裁としては初めての判決が出された。

しかし、その内容は、ほとんど保険者国側の抽象的観念論を認めたものであった。判決文は、2枚だけの短いものであるが、そこには、「障害年金を受ける権利の発生やその支給時期、金額等については、厚生年金保険法に明確な規定が設けられており、裁定は、受給権者の請求に基づいて上記発生要件の存否等を公権的に確認するにすぎないのであって(最高裁平成3年(行ツ)第212号同7年11月7日第三小法廷判決・民集49巻9号2829頁参照)、受給権者は、裁定の請求をすることにより、同法の定めるところに従った内容の裁定を受けて障害年金の支給を受けることとなるのであるから、裁定を受けていないことは、上記支分権の消滅時効の進行を妨げるものではないというべきである。」と述べられている。

ここで、「抽象的観念論」について、なぜそのように呼ぶかを簡単に注記する。
一つは、本来、独立した権利である基本権と支分権を、上記のような理由で混同させている点であり、今一つは、過去分の支払期月は、裁定前の事柄であるので、架空のものであるが、これが実際に存在するかのごとく取扱っているからである。勿論、私の造語であり、私が勝手に呼んでいるだけのものである。

この最高裁の考え方については、私は、老齢年金については、例外的な特別な場合として認めているところである。しかし、身体の障害といえども、必ずしも老齢年金と同じとはいえず、私は、基本的には、障害年金全般について、例外的な特別な措置を認めていない立場を採っている。

この抽象的観念論というのは、簡潔に述べれば、基本権は客観的に受給要件を満たした時に発生しており、支分権はその翌月から順次各支払期月に発生する。この裁定には、処分行政庁に裁量権はなく、裁定は単なる確認行為だから、裁定を受けられる以上、裁定さえすれば直ちに受給に結び付くのだから、支分権は各支払期月に発生し、その翌月から5年経過ごとに支分権消滅時効が完成する、とするものである。

ところが、社会保険審査会は既に、平成8年に、このような考え方を見直し、どのように考えても、裁定前に支分権が発生することはないとしている。
そして、平成20年(国)第330号では、「実際に給付を受けるためには裁定を受けることが不可欠であり、裁定を経ることなく受給権を行使することはできないことは法の規定の体系からみても明らかであるから、裁定を経る前の受給権なるものは、実態的な権利であるとはいうものの、実質においては裁定請求権に近い、現実的な実効性の希薄なものである。このような実効性の希薄な年金受給権について、裁定を経ない状態のままで、法令上の支給月の到来により個々の支分権まで発生するとするのは、事柄の実体から乖離した観念操作の嫌いがあり、容易に首肯することはできない。」としている。

今一つ見逃していけないことは、私が係る事件での主張は、他の事件では主張されていない重要な主張をしていることである。
その第一は、確認行為型の裁定には裁量権があり、これは既に定着した立法政策であり、国も社会保障関係給付の受給権が実体法上いつどのようにして発生するかは、その性質から当然導き出されるものではなく、結局、立法政策により決せられるものであることを認めており、この立法政策は、行政権でも立法権でも変更できず、実際の国の運用も、裁量権を行使していることである。
第二は、弁済期(支払期月)の正当な解釈である。
第三は、行政処分(裁定)の前に支分権が発生することはなく、裁定が行政処分であるからこそ、その通知を受けた日から3ヵ月以内に社会保険審査官及び社会保険審査会法に基づく審査請求ができる旨の主張である。
そして最後は、この事件の消滅時効完成の立証責任は国側にあるとの主張である。これは、年金法の受給権保護規定を根拠とするもので、国の抽象的観念論では立証責任が果たされていないことに係る数点の重要な主張である。

今回の最高裁と上記の社会保険審査会のどちらが真実を述べているかは、明らかなことであるが、今回の最高裁の判断は、障害年金についても、この事件の場合は、老齢年金の事情の場合と変わりないものとみたものと推測される。

最高裁としては、多くの類似事件が上告及び上告受理申立てされれば、いつまでも放置することはできないのであろうが、なぜ、今になって判決を出したのか、また、なぜ多く争われている精神の障害ではなく身体の障害の一例について出されたのかは謎であり、色々な解釈ができる。

しかし、私は、判断しない最高裁に対して大いなる不満を持っていたので、先ずは、上告受理申立てが受理されたことに対してこれは良いことだと評価している。

なぜかといえば、流石に、最高裁ともなれば、論理法則に反する説示や、経験則に反するとんでもない判断は出ないものと思っているからである。

なお、私は、身体の障害についても、複数異議申立て代理を受任(特別な事例の遺族年金についても1件)していたので、これらの方たちについては、これからの主張の貫徹に困難性が増したことは否定できないことは申し述べさせていただく。しかし、私なりに幾つかの具体的対処策を持っているので、今しばらく成り行きを見守っていていただきたい。
posted by 326261(身にロクに無い:身に付いていない:電話番号!!) at 17:25| Comment(0) | 1 障害年金
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