2015年11月28日

裁判所が論理の破綻した国の主張支持では国民は何を信じたら良いのか


事件は少し分かりにくいが、例によって障害年金の支分権消滅時効の問題である。 本日は、国の主張の自己矛盾と論理の破綻について、代表的な主張内容について公にする。

結論から言って、平成24年4月20日の名古屋高裁判決は、その主位的判決理由において、国の法解釈誤りを指摘し、かつ、「被控訴人は判決理由とは異なる見解を縷々主張するがいずれも採用することはできない」と断言しているのだから、国の主張が破綻していることは明らかである。本日は、この破綻の中心部分について具体的に述べる。

国は、本村年金訴訟上告審判例(H7.11.7)に基づき、裁定前の支分権については、支分権を行使できないことまでは認めている。行使できないけれども支分権は発生しているという。しかし、最高裁判所判例解説では、はっきりと、裁定前には「具体的権利は発生していない」と明言しているのだから、裁定前には支分権は発生していないと言って言い過ぎではない筈である。これは、言葉遊びをしているのではないのだから、いい加減にしていただかないと信頼関係まで根底から覆ることになりかねない。

国の主張によれば、「支分権は既に発生しているのだから、各支払期月の到来によって、裁定を受けなくても支分権の消滅時効は進行する」ということになる。

ここには2つの矛盾が発生している。1つは、自ら、「裁定前には、支分権を行使することができないことを認めつつ、それでもなお、支分権の消滅時効は裁定前に進行する」というのであるから訳が分からない。

今1つは、裁定前には、各支払期月が到来することはないのであるが、平気で、「各支払期月の到来によって」と主張をしている。しかも、支分権の支払期月を定める国年法第18条の規定には、ただし書があり、「ただし、前支払期月に支払うべきであった年金は、その支払期月でない月であっても、支払うものとする」との明文の規定があるのである。「支払うことができる」ではなく、「支払うものとする」である。

国は、前者について、裁定するかどうかどうかは、受給権者の意思に委ねられているから、裁定をしていないことは、支分権の消滅時効との関係で法律上の障害に当たらないと主張する。

しかし、裁定請求は、基本権についての権利行使であって、支分権についての権利行使ではない。裁定されるかどうかは受給権者の意思に委ねられていない。裁定権者の裁定がされて、初めて支分権の権利行使ができるのである。ここに、権利の混同があり、論理の飛躍がある。

後者については、国は、このただし書の適用は、文献が例示する一部の制限列挙された事例のみで、そのような場合に、奇数月においても、支払うことができる旨を定めた規定にすぎないと主張する。しかし、この規定は、制限列挙規定ではないし、納期(支払期月)を債務者が選べるような規定の存在する筈がなく、規定自体「可能」を規定したものではなく、「義務」を規定したものであり、何よりも、国は、5年遡及分の支払をこの規定を適用して支払っているのだから弁解の余地がない。

真剣に、法律的解釈を論じているのであるから、国には、うんざりするような屁理屈はこの辺でやめていただきたいが、多くの下級裁判所においても、最高裁がとても認めるとは思われないような、最高裁判所判例解説に反するような判決理由を下すことのないよう厳重に警告を発したい。

国が苦し紛れに、このような屁理屈を主張するのは、立場上、理解できる部分がある。しかし、どうしても理解できず不思議なのは、多くの下級裁判所でこのような屁理屈を容認しているのである。とことん議論すれば、通る筈もない判決理由を恥ずかしくもなく残しているのである。酷いことに、後者については、故意か過失かは分からないが、争点としても見逃している裁判所も多くある。

我が国は、3審制を採用しているとはいうものの、憲法違反等の一部の例外を除き、民事訴訟においては、実質2審制であるのだから、高等裁判所においては、なお更、慎重な審議を期待したい。
posted by 326261(身にロクに無い:身に付いていない:電話番号!!) at 10:54| Comment(0) | 13 社会・仕組み
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: