2015年11月21日

補佐人と陳述人の違い

今週の18日(水)午後、福岡地裁宮崎支部において、メイさんの事件の控訴審判決があった。結果は、従来同様の理由で棄却である。ところが、判決書には理由の不備(全部又は一部の欠落)があり、かつ国年法第16条の意義について判示している唯一の最高裁判例にも反するお粗末な内容であった。

原審判決文の表現の一部訂正はある(ここで、多数の訂正があること自体問題である)ものの、ほぼ原審の判決理由を認め、控訴人の請求には理由がないと判じている。実は、理由は大有りであるが、判決理由の中心についてだけ、なぜ判決理由が誤っているかについて述べる。

先ずは、高裁の判断の中心部分を転記する。
「 しかし、基本権たる年金受給権は、国民年金法所定の要件を客観的に満たすことによって成立し、各支払期月に支払うものとされる年金給付を受ける権利は、支分権として、基本権たる年金受給権に基づき、一定の支払期限の到来により発生し、受給権者は、基本権たる年金受給権について厚生労働大臣に対し裁定請求を行い、その裁定を受けることによって、支分権たる年金の支払いを受ける権利を行使することができると解されることは、引用に係る原判決の「事実及び理由」中「第5 当裁判所の判断」の1(1)に記載のとおりであるから、支分権たる年金の支払を受ける権利について、基本権たる年金受給権が厚生労働大臣の裁定によって具体化する前にその消滅時効が進行すると解することが、国民年金法の年金受給権に関する規定及びその趣旨と整合しないということはできない。」

少し長くなるが、原審判決「第5 当裁判所の判断」 1(1) についても転記する。
「 国民年金法は、基本権たる年金受給権の発生要件や給付金額に関する規定を設けながら、厚生労働大臣において、受給権者の裁定請求に基づいて年金受給権を裁定することとしているが(同法16条)、これは、画一公平な処理により無用の紛争を防止し、給付の法的確実性を担保するため、その権利の発生要件の存否や金額等につき厚生労働大臣が公権的に確認するのが相当であるとの見地から、基本権たる年金受給権について、厚生労働大臣による裁定を受けて初めて支給が可能となる旨を明らかにしたものである(最高裁判所平成7年11月7日第三小法廷判決・民集49巻9号2829頁参照。)
 他方、各支払期月に支払われるべき具体的な年金を受給する権利は、基本権たる年金受給権に基づいて成立する支分権であり、厚生労働大臣による裁定を必要とせず、法律の定めるところにより基本権から当然に発生するものであり、一定の支払期限の到来により具体化し、成立するものである。
 ところで、改正前の国民年金法102条1項は、保険給付を受ける権利は、5年を経過したときは、時効によって消滅する旨規定しているところ、これは基本権を対象とするものであり、支分権については、同条の適用はなく、会計法30条後段により5年の消滅時効に服するものと解される。 また、同法31条1項後段により、支分権の消滅時効については時効の援用を要せず、また時効の利益を放棄することもできないとされているから、時効期間の経過により、時効消滅の効果は絶対的に生じることとなる。
 支分権の消滅時効について上記のような規定が設けられている趣旨は、支分権を会計法の規定に従い支払期日の到来から5年間が経過した時点で自動的に順次時効消滅させることとして、年金に関する支給の要否等画一的かつ簡明に処理しようとした点にあると考えられる。そうだとすれば、基本権について裁定を受けていない場合でも、裁定請求をすることができる状態にある以上、支分権の消滅時効が進行することに変わりはないというべきである。
 以下、 年金時効特例法に関する記載は割愛する。」

第一に述べるべきは、理由の不備であるが、私は陳述人として、今までに、意見書を各裁判所に各1通を提出している。その内容には、本件の支払期月は、国年法第18条3項ただし書である旨、そもそも消滅時効完成要件を満たしていない本権支分権には、会計法第31条1項のいう、「時効の援用を要せず」 という規定は、裁定請求時段階では機能しないこと、及び平成20年の 衆参両院で答弁されている「個別の時効援用のないこと」等があるが、全く無視されている。

メイさんからは、補佐人として法廷で陳述することを依頼されていたが、現在は責任上飛行機に乗れない私にとって、宮崎はいかにも遠方で期待に応えられなかった。

事前に受任弁護士とも相談したが、「効果に余り差は無い」との判断に基づき陳述人としての意見書にしたのである。これは証拠として取扱われ、受任弁護士が準備書面においてその旨の主張をしているのだから、本来、準備書面による主張と変わりない筈である。それゆえに、この取扱いの差には疑問を抱いている。

幸いメイさんは、上告及び上告受理申立ての固い意思も表明してくれている。 この取扱いの大きな違いに直面したので、今度は私も補佐人として受任弁護士の先生と共に万全な控訴理由書等を作成する覚悟である。

ここまでは、引用判決文に直接関係しないところを述べたが、以下で判決文を転記した部分の誤りについて述べる。 このような国民の重要な権利について、高裁の誤った判断は、あってはならないことであるので、私はこのような事実を一人でも多くの国民に知ってもらいたいと思っているからである。

この判決内容を理解するには、事前に理解しておくべきことがあるので、概要を記す。保険者国が、この運用をしているのは、昭和45年9月10日付の内簡によっている。この内容は、年金基本権については時効の援用しないこと、及び支分権については裁定請求時を基準にして5年遡及支払に限る旨を指示したものである。これは法令ではなく社会保険庁年金保険部国民課長ほか2名が地方自治体に発出した文書であるので、法的根拠はなく、同類の通知や事務連絡よりも効果が弱いものとされている。ところが、国は、これは法令の解釈を表したものにすぎないとして、 上記の引用判決文と同旨の主張をしているのである。

このことを念頭に置いて考察すると、本案で問題にしているのは、年金支分権であるが、国は、これに対する権利不行使ではなく、年金基本権に対する権利不行使(言い換えれば裁定)を支分権に対する権利不行使と置き換えた主張をしているのである。

仮に、このような主張が許されるとしても、保険事故の有無及び時期が誰の目で見ても明らかであり、保険者が裁定請求を促す努力を重ねているという特段の事情のある老齢年金の場合だけの筈だが、国も裁判所も、法の条文を文理解釈して、障害年金の場合も老齢年金と変わりないと判断している。この違いは明らかであり、従って、私が厚生労働大臣に提出している10件を越える異議申立てに対しても、早いものでは 1年2カ月を経過しているが、未だに要請済みの弁明書の提出も無いのである。しかも、この理由は、本当に変わらないものであれば、老齢年金の場合も特段の理由がないこととなるのであって、だからこの権利の混同が許されるという理由にはなり得ないものなのである。

また、引用判決文のいう、一定の支払期限の到来は、ただし書が適用になるものであるので、裁定請求時における「到来はあり得ず」、 障害年金においては裁定を受けることによって、 支分権たる年金の支払いを受け取る権利を行使することができない、と解されることは明白である。

原審においては、平成7年11月7日の最高裁判例が、「厚生労働大臣の裁定を受けて初めて支給が可能となる旨を明らかにしたこと」を認めながら、それでも、受給権は裁定をすることによって支分権の権利を行使することができるというのだから、 自己矛盾も甚だしい支離滅裂な論理である。

こんな判断が最高裁において認められる筈はないが、最高裁においては、約97%が却下、棄却、又は不受理とされ、 残り3%のうち 1%しか弁論が開かれていないというのが最近の現状である。

それゆえ、高等裁判所の役割は大きなものであるが、そこでさえ、行政訴訟(ほかにも、原発訴訟、刑事訴訟) においては、裁判官の良心のみに基づいた良識ある判断がされていると限らない現実(瀬木比呂志著 ニッポンの裁判 第4章 裁判をコントロールする最高裁判所事務総局)があり、国民は目覚めなければならない。
posted by 326261(身にロクに無い:身に付いていない:電話番号!!) at 17:14| Comment(0) | 1 障害年金
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