H.H様は、私が第2就職をした時に世話になったNTTの大先輩である。この方は、たまたま地元豊田の方で、やはりNTTの大々先輩である、特に陶芸家としては全国的に有名な豊田市の名誉市民第1号である超大物S.H様の四男で、育ちの良すぎるくらいの方である。当時、豊田電報電話局に勤めたことがある者を会員とした現職を含めた「桜城の会」という親睦会があり、その親睦会の席上、私は、初対面のこの方に、再就職先のあっせん依頼を一言申し上げた。本当に、たった一言である。「NDSリースを希望していますので、ご縁があったら宜しくお願いします」とだけ申し上げた。
これが実現してしまうのだから、縁というものは不思議なものである。この方は、当時、前社長で監査役ではあったが、NTTからの受入れ者の人選等の人事権を持っている訳ではない。ところが、これも不思議なことに、当時の社長が、私が、若い頃、東海通信局施設部管理課に所属していた時の施設部の人事担当調査役で、私も深夜まで何度も仕事のお手伝いをしたことがあり、考え方にも人間性にも尊敬の念を抱いていた方であったのだ。
この社長は、S.H様同様、施設系の方のあったが、今後、NDSグループ以外にも業務を拡大すべく、新規顧客開拓を目論んでみえ、法務経験者を必要とお考えのところであった。
そのような事情で、私の再就職先は比較的早くすんなり決まってしまい、多くの仲間が、より良い条件等の再就職先を模索して、色々な気遣いをしていた頃、私は、そのようなことに無縁で、自分の信念に基づく仕事に傾注でき仕合せ者であった。
そして、NDS生え抜きのM.K様にしても、NDSグループ内では、多くの盟友をお持ちであるが、再就職者である私に、「私も会いたいと思っていたところ」と歓迎され、元気が増されたようである。この方は、6年前に、左上顎洞癌を患われ、年賀状等では、弱気の言葉が見られたので、健康に恵まれた私が、こちらから電話をするのも、気が退けて、遠慮していた経緯がある。
罹患が分かった時には、ステージ4と言われて、覚悟をしたとのことであったが、大手術が成功し、片目で私の自宅まで自家用車を運転しておみえで、私もお言葉に甘え、H.H様のお宅にも乗せていっていただいた。歯も手術で全部取ってしまい総入歯とのことであったが、お元気で、1月に2回程度は旧友とマージャンもしてみえるというから、人間気の持ちようでいくらでも仕合せになれるものだと痛感した。奥様にもご子息にも感謝されておみえで、悲観要素ゼロであった。
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