宮崎のメイさんの事件の第1回目控訴審期日の直前に、札幌高裁で10月2日判決言い渡しの類似事件の被控訴人国が勝訴した判決例が出された。被控訴人はそれを早速、メイさんの事件の書証として提出してきた。
メイさんの事件では、控訴人が、数点の論点で被控訴人の主張内容は違法である旨の主張をしているので、被控訴人は他に多くの反論を要する主張がある筈であるが、余り議論をしたくないらしい。争点の違う判決でも、多くの勝訴判決を提出し、後は、そっとしておけば、裁判官が政府寄りの判決を出してくれるものと思っているようにもとれる。全く、困ったものである。
札幌高裁の事件の概要は、昭和54年5月分から昭和59年11月分の消滅時効が完成したとされた障害福祉年金と遅延損害金の支払を求める内容である。控訴審では、第1審の「確認行為にすぎない」の部分を、「確認行為であって、同長官に対する支給請求とこれに対する処分を経ずに、未支給年金を請求することが、訴訟上できないにすぎない」と改めるほかは、元判決を引用している。
札幌高裁も、この消滅時効の起算点は、基本権の支給要件に該当し、支分権の支払期が到来した時(権利を行使することができる時)であり、裁定請求をしないことは、時効の進行を妨げる法律上の障害に当たらないと思料するものであり、その理由は原審判決の説示するとおりであるとしている。
なお、私の事件の名古屋高裁判決についても述べているが、その内容は、「控訴人と同様の見解を採用したが、同事件の控訴人は、不支給部分に係る消滅時効期間の経過が最初に到来するころには、精神上の障害により事理を弁識する能力を欠く状況にあるか、又はそれに近い状況にあったことが推認され、同人自身が時効中断の措置を執ることなどが不可能であったと思われる事案であって、本件と事案を異にするものである。」と片付けられてしまっている。
私の事件におけるやり取りの実際は、そんなものではなく、私は、第1審の後半からは、国の法解釈誤りという一般論に主軸を移して争っており、判決文においても、その一般論を、首位的判決理由としているのだが、国は、私の事件においては、最高裁は、民法第158条の類推適用を認めたものである旨主張しており、札幌高裁もこの国の主張を認めてしまったことになる。
本村年金訴訟上告審判例をよく読めば、札幌高裁の説示には至らないのだが、被控訴人の主張が足りないのか、高裁が政府よりの判断をしたのか、これだけの資料では分からない。
私が残念に思うのは、内簡は法令ではなくこれと同じ内容の実定法は存在しないこと、障害年金特有の事情から裁定請求時には受給の可否の分からないこと、基本権と支分権の独立、会計法の第31条の規定が本件では機能しないこと、平成20年には衆参両院で個別に時効援用したものだけが時効消滅する旨答弁していること、及び本件の支払期月は国年法第31条3項ただし書であり、そもそも、本案は期限未到来の支分権である等について、議論されていないように思われることである。
注意を要するところは、私の事件の名古屋高裁判決だけを書証として提出しても勝てないことである。 判決文の高裁訂正部分の表現を見ると、原告側は、本村年金訴訟上告審判例 (最判平成7年11月7日)を提出していることは分かるが、それを根拠に何を主張したかが大切である。 高裁にこのように訂正させて判決文を書かれてしまっては高裁が結審までの与件から、誤った判断をしたと主張することも難しい。
私の事件について考えてほしいことは、私は当時何の武器(書証)もなかったことである。被告のいうことが余りに矛盾だらけで不合理であったので、主位的請求理由を第1審の後半からは変更したのである。リーガルマインドと被告の提出した書証を利用して、受任弁護士も負けると思っていた裁判で勝ってしまったのだから、当時十分な書証のなかったことは当り前のことである。
なお この受任弁護士は、 このままでは負けてしまうと判断し、名古屋高裁には期日延期願は提出してくれたのだが、名古屋高裁にはこれを聴いてもらえず、私が出廷した第1回期日で結審となっており、名古屋高裁では、受任弁護士は名前だけで法廷には1回も出ていない事件なのである。
現在、私の持っている書証は、判決後、新聞記事やホームページを見た先輩社労士のI.F様が送ってくださったものが軸であり、その後私が経験した事件や文献を加えたものである。 この軸となっている書証は、判決後にいただいたものであるが、 これを読み、私は最高裁での勝訴を確信した。2年間も待たされたので多少の不安はあったが、心の残るほどではなく、この間、私は心の平穏を保てたので、私はこの先輩社労士には感謝の気持ちで一杯である。
現在私は、この国の運用が違法である旨の主張については、約10項目にわたり主張をしており、理論上は、裁判所が根拠のないとんでもない判決理由を付けなければ、国の勝訴判決が出せないまでに攻めこんでいる。 そこまでやっても政府寄りの判決が出易い行政訴訟の現状であることは、瀬木比呂志教授の「ニッポンの裁判」 (講談社)に譲りたい。
しかし、司法を司る裁判所で政治的判断をしていては、年金同様、司法に対しても、国民の信頼を失い取り返しのつかないことになる。
私のような法律の素人の主張を全面的に認め、被控訴人の主張は、何一つ認められなかった高裁判決が厳然と存在するということは、多くの下級審の判決で、どんな結果が出されようが、保険者国の運用は違法であることは動かしようがない。原告及び受任弁護士には更なる多面的な研究を期待する。国の主張構成には、論理の飛躍があるので、その点を丁寧に指摘しなければ勝訴には至らない。
2015年10月10日
またも私の知らないところで敗訴判決
posted by 326261(身にロクに無い:身に付いていない:電話番号!!) at 19:10| Comment(1)
| 1 障害年金
弁護士が先生と私の間に入ってから裁判の流れがほぼ見えなくなり、、、、。