2015年09月19日

裁判所が基本権と支分権を混同する事由

遡及5年を越える年金消滅時効問題について、国の主張も、多くの間違った判決を出している下級裁判所も、「裁定請求はしようと思えば何時でもできるのだから、それをしなかったのは、支分権に対する受給権者の権利不行使である」と主張している。

基本権と支分権の独立は、青谷和夫先生が、既に昭和41年に、「年金の基本権と支分権およびその消滅時効」という論文で明らかにしてみえ、私は、年金の実務をある程度は知っているので、障害年金の場合、これがいえないことが明白であると思っている。国も下級裁判所も、なぜ分からないのだろうと長い間疑問に思っていた。しかし、過日、最高裁判所判例解説(平成7年 民事編)を熟読して、やっと、その理由が分かった。

判決文の表現とは少し違うが、この解説書に、裁判所が判決理由としている定型文のような文言を見付けたのである。その文言とは、『法第16条は、無用の紛争を防止し、給付の法的確実性を担保するため、基本権たる受給権について社会保険庁長官の裁定を受けて初めて支給を可能とする確認行為型の立法政策を採っている』との記載があり、確認行為型というのは、受給権の発生要件や給付金額について明確な規定が設けられているが、客観的にこの要件を満たすことによって直ちに給付請求ができるという構成にはせず、給付主体と相手方との間の紛争を防止し、給付の確実性を担保する見地から、行政庁による認定、決定、裁定等の確認行為によって初めて具体的な権利を発生させることとしている、との部分である。

下級裁判所の誤った判決理由には、「受給権の発生要件や給付金額について明確な規定が設けられている(判決によっては「支給時期」の記載もある)」から、「裁定さえすれば、具体的債権である支分権の受給に結びつく」と結ばれている。

障害年金が、裁定請求さえすれば、必ず受給に結びつくものでないことは、年金の専門家でなくても認識しているところである。

この著名判例のこの部分は、併給調整に基づく未支給の老齢年金の支払を求めて提訴されていた支分権に係る記述である。従って、最高裁が、「受給権の発生要件や給付金額に明確な規定が設けられている」といっているのは、老齢年金についてであるが、国や一部の裁判所は、これを、障害年金や遺族年金にまで、間違って拡大解釈しているのだから始末が悪い。実態の異なる障害年金について、裁定時に受給権が具体化しているという根拠としては使えない理由である。ここが、障害年金について、多くの下級裁判所で誤判断が生じている原因のように感じられる。

もう少し詳しく述べる。老齢年金では、裁定をしさえすれば受給に結びつくといえる。そして私も、老齢年金の一般的な事情の場合については、例外として国の運用をやむを得ないものとして認めている。ところが、障害年金や遺族年金では、障害の状態の判断等の違い、遺族年金では生計同一要件等の認定に係る判断の違いで受給に受給に結びつかない場合があるのである。

年金実務の詳細を知らない下級裁判所の裁判官が、最高裁判所判例解説に書かれているのだからと、これを安心して、判決理由に使っているのだから困ったものである。これでは、机上の空論となり、低級裁判所である。

言うに事欠き、平成26年12月18日の名古屋地裁判決(平成27年6月17日名古屋高裁判決もこれを引用している)では、「国年法施行規則31条2項4号は、障害基礎年金の裁定請求時に、障害の状態に関する医師又は歯科医師の診断書を添えなければならないと規定しているから、裁定請求時に年金を受給できるか否かやその等級が不明であるとは言えず、この点について、障害基礎年金と他の年金(老齢基礎年金や遺族補償年金)との差異はない」と述べているのだから、障害年金を取扱っている社労士の先生が読まれたら、裁判所の判断のいい加減さに驚かれることと思う。


なお、余談だが、ここでも「行政庁による認定、決定、裁定等の確認行為によって初めて具体的な権利を発生させることとしている」と記載されているのだから、平成27年6月17日の名古屋高裁が、裁定前の支分権について「裁定を経ていない支分権が抽象的な権利にとどまるとはいえない」と判決理由で述べているのだから、これは、驚愕の事件で、私は、高等裁判所にこのような裁判官が居たこと自体に驚いている。
posted by 326261(身にロクに無い:身に付いていない:電話番号!!) at 10:49| Comment(1) | 1 障害年金
この記事へのコメント
冒頭で「裁定請求はしようと思えば何時でもできるのだから、それをしなかったのは、支分権に対する受給権者の権利不行使である」と主張している。」との引用に関して述べます。

これは、消滅時効に関するトリック的主張の最たるものです。

まず、「裁定請求はしようと思えば何時でもできるのだから、」に関してです。
確かに、障害を発症していれば、施行規則31条の記載・添付書類を備えていれば何時でも裁定請求ができます。請求するか否かも法律的には自由です。これは16条によって付与されている「裁定請求権」です。

そして、この局面においては、年金受給権は未だ付与されていません。これも16条が根拠規定となって規制しています。健全な制度運用の観点から当然の規定だということができます。
ここにいう主張はあたかも「裁定請求権」を消滅時効の対象にするかのごとくの切り出し文言であることです。
「保険法94条」のような「裁定請求権」に対する消滅時効を適用する規定は国民年金法には存在しません。ここから後段にかけてトリック的主張(「論理」又は「理論」とはかけ離れているので単に「主張」と呼ぶしかありません)が展開されるのです。

後段の主張は「それをしなかったのは、支分権に対する受給権者の権利不行使である」としている点にあります。
これは、裁定請求権に関してではなく、裁定によって付与される「年金受給権」及びこれによって波及的・芋づる式に生ずる「支分権」のことを指しており、いきなり飛んでしまっています。

裁定請求をしようという局面においては、年金受給権の権利を行使しようにも行使できない歯止めが「厳重に」かけられているのです。
これをあたかも、いつでも行使出来るかのごとくの主張をしているから、トリックというしかないのです。

請求者及び関与している社会保険労務士・弁護士は、何故、このことを論理立てて主張しないのでしょうか。明確な主張がなければ、裁判官は判決要旨を自ら構成する必要から、前例踏襲をせざるを得ないのは、日常生活のあちこちで繰り返されている前例踏襲と何ら変わるものではありません。

判決後に、どんなに裁判官を避難しても何も変えられません。裁判の中で努力すべきです。その方法を事前に論じたら尚よいでしょう。
Posted by hi-szk at 2015年09月28日 12:05
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