2015年08月01日

補佐人準備書面の作成

本日は、前書きが少し長くなる。本日話題にする事件は、現在82歳になる原告である女性S.N様の夫が、昭和41年に亡くなり、勤め先から葬儀への参列はあったが、厚生年金についての説明は何もなく、被保険者証も渡されていなかった。従って、原告は当時、遺族年金の受給権があったにもかかわらず裁定請求が遅れた事件である。

途中、平成5年には原告が老齢年金を受給する手続きをしている。その時友人から遺族年金の請求ができる旨教えられ、年金事務所を訪ね請求の意思表示をした。しかし、担当者からは、当時の担当医による死亡診断書、及び当時の近隣住民等からの同一生計維持証明を提出するよう求められ、原告は懸命にこれを求めたが準備できず、全部の書類が整わないと請求できないと思い、手続きの継続を断念していた。事情が変わり、次女T.T夫妻と同居するに至り、平成23年に次女の支援の下受給に至った。

一昨年3月の提訴時点からでも、約47年も前の話で、未支給の期間は長いが、当時は保険料も年金も安かったので、その割には請求金額は増えないし、既に老齢厚生年金を受給していたので、その選択期間分も支給されない。

私の消滅時効問題に関する受任事件は、この方以外の分は全て障害年金であるが、唯一の例外で引き受けている。ある日T.T様が夫に「年金に時効があるのはおかしいよね」との会話を端緒に、夫がインターネットを調べてくれ、私に辿り着いたとのこと。

この方達は福岡にお住まいで、T.T様の夫は東京に単身赴任してみえる。一昨年の7月19日(金)、田舎の私の事務所まで事件の依頼に行きたいとの電話を受け、それでは大変過ぎると、私が名古屋地裁に出向いた折りに、名古屋駅近くのホテルのロビーで事情をお聴きし、これは「救われるべき事件」であると判断した私は、「障害年金しかやったことがないけど、私の出来るだけの事はさせてもらう」旨回答し、ご縁が出来たものである。その時には、お母さんの写真も持参され、ご本人の気持ちもお聞きした。再婚もせず、3人の娘さんを全て高校を卒業させるまで頑張られた労に少しでも報いてあげたい。

現在は、別の事件で岡山から原告の夫に当る人と同伴で、私の事務所にも来て頂いた事のある誠実な弁護士が受任しているが、原告及びご夫妻は、「最善を尽くしたい」旨の意思表示を明確にしていてくださり、私の準備書面作りが始まった。

既に、この準備書面は、一昨日完成し、受任弁護士宛に原本を郵送済みで、8月4日(火)には、私は、この準備書面の内容を陳述することになっている。本日は、この準備書面の作成中に明らかになった重大な齟齬について述べる。

私の草案は、追加の書証も3つほどあり、25頁にも及ぶものであったが、受任弁護士との調整で追加した書証も無しになり、11 頁物にまとめられた。角の取れた、とても素人の作品とは思われない立派なものに仕上ったが、頭の固い裁判官にどこまで理解してもらえるかは定かでない。

この受任弁護士は、私の名古屋高裁での事件と酷似した事件で、第一審から最終審までを経験しておみえで、かつ、この事件の上告事件及び上告受理申立事件の相談で、私の事務所に来てみえるので、この事件について、会計法第31条1項が適用され、その「支分権が発生から5年を経過するごとに時効が完成し、自動的に時効消滅する」旨の国の主張に根拠のないことは当然理解しておみえであると私は思い込んでいたのである。

物事は、とことん話してみないと分からないもので、私が作成した準備書面の草案に対して 忌憚のないご意見、ご感想を十数点くださったのであるが、この会計法の適用に関する部分だけが私の考え方と合わないのである。

先生は、会計法の適用について、「本問で、支分権については、会計法の適用があることは、すでに、原告も主張しているところですし、法解釈としても、これをひっくり返すのは無理ではないかと思いました。」とおっしゃる。私は会計法が適用される事件ではあるが、第31条1項が機能したら、直球勝負では勝てないことになってしまうと話す。なぜ機能しないのかを説明したところ長く話すこともなくご理解していただけたようで、私の草案のその旨の表現部分に修正案をご提示いただいた。

私は、この事実で、はたと思った。先生は、上記の最高裁との対応についても、この重要な内容を正確に理解せずに争われていたことになる。別件の名古屋高裁の受任弁護士、別件の宮崎地裁の受任弁護士も同じ状態にあったかもしれないと考えてしまった。

この内容が、裁判官に確り伝わらない限り、余程の事情がないと原告は勝てないのである。 勿論、原告の勝った裁判はある。しかし、この判決は事情に鑑がみ、国が時効を援用するのは公序良俗に反するとの判決内容である。

分かり切ったようなことでも、徹底的に確認を要するという良い事例を経験してしまった。 思い込みほど恐ろしいものはない。

本日付の日経新聞「私の履歴書」に、ぴったりの記事があった。脚本家倉本聰氏の『「海抜ゼロから考える」これも私のモットーだ』、『物事を考えるときに5合目を常識にしてはいけないと自戒している。物事には「そもそも」という根本がある。そこを省いて5合目を常識にしてしまうのが僕は怖い。』と述べてみえる。全く、同感である。
posted by 326261(身にロクに無い:身に付いていない:電話番号!!) at 09:27| Comment(0) | 1 障害年金
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