2015年05月09日

生き甲斐と常識

 先週の日曜日、4月26日の日経新聞のコラム「春秋」に三橋鷹女のこんな詩が紹介されていた。「鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし」、鞦韆とは、ブランコのことである。なんと強烈な個性を露にした詩であろうか。この欄で個々の詩が紹介されること自体は稀なことであるが、私は、この詩の中の「奪ふ」という一言が気になり記事の切り抜きをしておいた。

 女性が愛について「奪ふ」というからには、一般的には、その人に妻がいようが恋人がいようが、自分の伴侶にしてしまうということであろう。フリーな相手を伴侶にしても、「奪ふ」という言葉は使わないように思う。文芸家には、この手の話は枚挙に暇がないが、真に野性動物的で気楽なものである。と言っても、私は、この行動を批難しているのではない。人間が勝手に作った道徳心や常識に反するだけで、野性動物の世界では日常茶飯事である。その人の生き方として、何が正しいかは、その人の人生観なり価値観によるより仕方ないことである。

 俗な言い方をすれば、芸人の間では、「女遊びは芸の肥やし」と言われ、妻がそれを容認する場面も現れる。それが糟糠の妻の美徳とさえされていたのだ。しかし、鷹女や例えば与謝野晶子の想いはそんな軽いものとは到底思われない。どんな生き方をするのがベストかは、人それぞれで、一概には言えない。常識の世界に生きる人間でも、時には単純に、牡であり、牝であることも必要で、これはどんなに高貴な方でも共通で、また世界的にも共通である。

 私は、彼女たちのように激しい性格ではないので、いわゆる常識が邪魔をして、自由奔放な行動は採れない質であるが、時として、彼女たちは、幸せであり、人の生き方としては、本当は正解なのかもしれないと感じる時がある。男女の問題で言えば、あの小泉純一郎首相が、ある女性の会合で、「女性は、男性の元気の元ですから---」と、上手く参加者を盛り上げられたことがある。

 同じく政治家について言えば、中井洽氏が衆議院予算委員長をされていた時女性問題について噂になった。これに対して、奥さんを亡くされていた委員長に、「中井さんも 一人では大変だから 結婚すれば良いのに」といった趣旨の同情的な発言を耳にした覚えがある。また、前回のNHKの大河ドラマ「軍師官兵衛」の一コマには、官兵衛が父の命により、小寺政職の近習として仕えていた若かりし日に、その奥方から、「想いを寄せている者がいるのであれば、決して諦めてはならない。諦めれば、必ず後悔するするから」と、初志貫徹を勧められている場面があった。

 詰まり、この事ばかりは、独占が付き物で、代替性がないのであるから、一見身勝手な行動と思われる行為も、人間の社会でも、許されたり、称賛されたりするのかもしれない。また、グルーミングや恋愛によってオキシトシンという脳内物質が分泌され、脳のストレス中枢の興奮を押さえ、ストレス反応によって放出されるストレスホルモン(コルチゾール)を減少させ、それがストレス中枢の興奮をおさえ、ストレス反応を脳と身体から消し去ってくれることが最近の研究で明らかになっているそうである。言い換えれば、医学的にも心身共に良い影響があり、抵抗力が増し、病気にもかかりにくく良い事ずくめだそうである。

 ただし、気を付けなければいけないのは嫌いな人や赤の他人に触れられると不快なだけで逆にストレスになるそうですからお間違いのないように祈ります。









posted by 326261(身にロクに無い:身に付いていない:電話番号!!) at 11:30| Comment(0) | 11 所感
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: