4月 22日(水)13:30から 私が支援している障害基礎年金支給請求控訴事件の第1回期日があった。この事件のためだけに設けられた期日のようで、傍聴者は本人の父母と大手新聞社の名古屋高裁記者クラブ所属の記者と身元不明の外国人の4名であった。
控訴人側には、受任弁護士、本人及び補佐人である私の3人が座り、裁判長から各ステップごとの提出書類及び陳述の確認があった。私は補佐人として意見書を出しており、 彼控訴人の主張及び原審が結論に導くための前提となる事柄にも事実誤認がある旨 10項目にわたって述べている。
そして 今回は統一地方選ではないが「必勝」を期しているので、私が私の名古屋高裁の判決以降お世話になっているI. F社労士にも意見書を書いていただき陳述人になってもらった。出廷要請はなかったが、厚生労働省の公表資料に基づき、傷害年金については、裁定請求をしても必ずしも支分権に結びつかない旨を陳述していただいた。
平成22年度から平成24年度までの3年間で全国平均 12.5%以上の不支給の事実があるのだから原審判決理由とされている大前提が崩れているのである。
そのような主張をしているので、彼控訴人の反論を期待したが、予定したとおり、反論はなく、この1回の期日で結審となった。判決は 6月 17日(水)16時である。概ね2ヵ月後となるが、それは私の事件のときの期間とほぼ同じである。
この判決は極めて重大な意味を持つ。それは本人に成年後見人が付いていない事件で、主位的請求事由を法解釈誤りという一般論で争っている事件としては、初めての高裁判決となるからである。
そして、本件は、憲法違反等を争った事件ではないので、実質的にはこれが最終審ということになるのである。日本の民事裁判では三審制が保証されている訳ではなく、実質二審制なのである。勿論、控訴人が負けた場合、判決理由によっては、上告受理申立事由を探るのだが、それが受理されるような理由はほとんど見付からない。
私や受任弁護士が考える限りでは、国を勝たせる法律的解釈はあり得ないのだが、裁判官は 一人ひとり独立して判断する権限を与えられているので、私たちはその権限を侵すことはできない。
控訴人は法律的解釈としては、被控訴人国の解釈は成り立たない旨を多面的に証明しているので、もし、それに反する判決が出れば、司法における政治的判断としか考えようがない。3年ほど前に画期的名判決を下した同じ名古屋高裁で政治的判断が出ないものと思っているが、悲しいかな、既述の理由で、可能性はゼロではない。
しかし私はどんな判断が出ようが、国は、法改正等により合理的な運用に改善すべきものと思っているので、諸活動の手綱はいささかも緩める積りはない。。
たまたま、昨日のメールで、月刊みんなねっと 7月号か8月号に制度の話のトピックス記事として、私の名古屋高裁での勝訴を含んだ記事を掲載してくれることが決まった旨の通知を受けた。
長妻昭衆議院議員が国会質問をしていても、その後、自らが主管の厚生労働大臣になっても、志を遂げられなかったほどの難しい問題であるので、編集会議も3回ほど審議してくれたようだ。
裁判所の判断が一番大きな影響力があるのであるが、一般的には経済的弱者である障害年金受給者が訴訟を維持していくのは大変なことである。
私はこれからもあらゆる機会を捉えて国が自ら改善に動かない以上、国民的議論とすべく運動を続けていく。
2015年04月25日
一般論争点の最先端消滅時効控訴事件の結審
posted by 326261(身にロクに無い:身に付いていない:電話番号!!) at 10:25| Comment(2)
| 1 障害年金
この問題の根源は、年金の遡及適用を回避しようとする姿勢からくるものです。しかしながら、法理論を無視し、年金規定を意図してギシギシと歪ませ、無理やり運用するやり方は、違法行為でしかありません。それでも通用すると思っているのでしょう。細かい技術的取り扱いにとは異なるからです。
大きくは二点あります。
一点目は、木戸先生が問題にしている消滅時効の取り扱いです。その根本姿勢は、過去の法理論家の間違った学説を都合よいところだけを引用し「欠陥のある条項」を屁理屈で塗粉し「遡及適用を回避させる」姿勢にあります。結果として、消滅時効の法理とは全くかけ離れた実務を”冷酷”に展開することとなっています。時効に関する年金事務所や年金ダイヤルへの一般論の問い合わせには、威圧的でイライラしているような対応がみられました。問い返すと、合理的な説明がつかず困っているからだと思われます。
「欠陥のある条項」とは、年金法第102条です。ここに「穴(何十年間も遡及しなければならない初歩的な欠陥)」が開いているからです。年金法のあるべき構造としては、「年金裁定請求権」について期間制限なり消滅時効にかけて直近の5年間だけ遡及して請求できるようにすべきところ、誤って「年金を受給する権利」に時効を適用するものとして年金債権の発生日から消滅時効を適用する法制度としてしまっていることです。更に、この穴を長年にわたって放置し屁理屈で正当化しているからているから「塗粉」なのです。この穴を塞がず、覆い隠すために、歴代にわたる年金法管理者がトリック的論理を展開し続け、請求者ばかりでなく、医療関係者や社会保険労務士、弁護士、裁判官の多くの方々を巻き込んで、現在も公然と続けられているころにあります。さすがに、これに気がついたのか「藤田恒雄」氏は1990年の論文「公的年金の時効について」において「年金裁定請求権」を消滅時効にかけるべきだと述べているほか(但し、「解釈」によって取り扱おうとする点では法理論に沿った解決にはならない)、最近制定した民間の保険契約に適用する「保険法(平成二十年六月六日法律第五十六号)」第95条第1項では「保険給付を請求する権利、…は、三年間行わないときは、時効によって消滅する。」として、適正な法構造の形態を整えてきています。
「論理展開」だけでなく「取り扱い」についても、トリック的展開を行っています。表向きの説明と実際の取り扱いが異なっているからです。表向きの説明は、年金機構のサイト「年金について(年金の時効 更新日:2014年4月21日)」にあります。即ち、「<基本権> 年金を受ける権利(基本権)は、権利が発生してから5年を経過したときは、時効によって消滅します(国民年金法第102条第1項・厚生年金保険法第92条第1項)。…。」としています。年金の基本権は、厚生労働大臣の裁定(法16条)という公権力の行使によって認定・付与され、その通知によって年金債権が発生するという点では法理論としても何等異論を挟む余地なく正しい説明です(しかし、法構造としては「年金を受ける権利(基本権)」とするのは前述のとおり「穴」即ち欠陥なのであって、保険法のように「保険給付を請求する権利」とすべきです)。しかしながら、年金ダイアルの説明や現場の取り扱いでは「障害認定日(障害発症が18歳6ヶ月より前なら20歳。事後重症では支分権の第一回計算期間の始期を「認定請求日」)」として(支分権の第一回目の計算期間の始期を)取り違えて年金債権の発生日として消滅時効を進行させる取り扱いをしており、表向きの説明と実際の取り扱いが食い違うトリックを用いています。過激な表現のようですが、敢えて穏やかな表現をしても「トリック」というほかに適当な言葉が見つかりません。
先達の間違いは、それを正していくのが後任の責務であり、これを怠って今後も続けていこうとすいうことで傷口を大きくして、財源問題も含めて抜き差しならないところにあると思われます。いつまで続けて行くつもりなのでしょうか。これまでにも欠陥条項の是正機会は多々あったと思われますが、勇気をもって、直ちに第102条を改正すべきです。これまで幾度も繰り返された訂正ではなく改正です。それまでの間、現行の運用は、現行条項に沿って遡及する適正な運用を行うべきです。年金だから許されると言うことは決してありません。
二つめは、事後重症条項の適用に関してです。事後重症規定(法第30条の2第1項、同第30条の4第2項)は、支分権の第一回計算期間の始期を裁定請求日とし、診断書が一通でも年金債権を発生させる規定です。まず、詳しい事情を聞かれて事後重症でなくても診断書が一通しかない障害者には、書類不備(理由:診断書が二通貼付されていない)といって、請求理由を事後重症としない限り、裁定請求書用紙を決して交付しません。年金法規則第31条に基づいて調製した書類の提出であっても、また、手続き的にも適用可能な条項(第30条の4第1項)があって事後重症にする必然性がないにも関わらず、事後重症の要件に無理やりを適用させるものです。この適用条項によって、提出された情報の範囲で行政権の行使をすればよく、仮に、一通の診断書であって障害等級に該当していると認定するならば、その障害認定日を支分権の期間計算の始期として裁定をすればよいだけです。請求用紙を交付しない、交付しても受け付けないのは、年金の裁定請求権の行使を阻害する憲法25条にも反する違法行為です。人権問題でもあります。直ちに是正すへきです。
もう一つあります。持論にオーバーランがありました。「欠陥のある条項」即ち「穴」に関してです。「年金裁定請求権」について期間制限なり消滅時効にかけて直近の5年間だけ遡及して請求できるようにすべき…云々と書きましたが、これでは、5年経てば年金そのものの受給権も結果として消滅してしまいます。きめ細かく障害年金の時給手続きを進める当局のサポート体制がとられていない現在では、決してやってはならないことです。
消滅時効に関しては、当局の暴走を防ぐため、集団訴訟のようなことはできないものでしょうか。