2020年03月28日

裁判による行政不服審査の正常化について


先週までの3回連載(3/7、3/14及び3/21)により、国家賠償法に基づく損害賠償の形ではあるが、行政不服審査の正常化を訴える控訴理由書を公開させていただいた。

裁判官が問題をすり替えていること、顕著な事実(証拠不要)を理由として判断の根拠としている大前提の部分が誤っていること、及び裁判官が無理を承知で国(行政)の味方をしている点が読み取れたでしょうか。

正義を重んじ、公平・公正であるべき裁判が、なぜ、このような現状にあるかであるが、司法制度改革による若手法曹の質の低下をいう専門家がおり、膨大な事務量を処理しなければならない環境を挙げる専門家もいる。

うがった見方をして、最高裁及び最高裁事務総局の意向に反する判決を下すと評価・処遇に大きく影響することを挙げる専門家もいる。

実際は、これらの全部が相互に影響していると思われるが、そんな状況下でも、行政訴訟等においても1〜2割の裁判官が、法と良心のみに従って信念を貫いていると言われている。

しかし、これらの善良な裁判官が重要事件が余り来ない裁判所等へ配転されてしまっては、いつまで経っても、司法の改革は進まない。

労働社会保険の仕事をしていると行政を相手にすることが多く、残念なことではあるが、不服申立て制度の改善の必要性を常に強く感じるのである。

現状打破には、マスコミの力も必要であるが、法律論は記事になりずらい。

中々、特効薬は見付からないが、余りにも不合理で理不尽な判決は、事件の大小は問わず、大新聞の社説で取り上げていくべきであると考える今日この頃である。


先週の土曜日は、突然の電話申込みを含め多数の来客があり、その後、家族で会食のため外出したので、帰りが遅くなり、その日のうちにブログをアップできなかった。

コロナウイルスが蔓延しており、私の歳のこともあると思われるが、心配して、電話をくださった定期訪問のお客様がいた。

改めて、土曜日アップの原則を厳守すべきと覚悟したが、こんなお心使いにも感謝の気持ちで一杯である。
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2020年03月22日

入口論における控訴理由書の公開について B/B


第3 現在の運用を放置できないことについて
1 原審の違法は行政不服審査法の趣旨・目的を没却させるものであることについて

 現在の被告の取扱い及び原審の結論は、社会保険審査官及び社会保険審査会法においても受理されるべき事案について、補正指導も教示もせずに、不服に正当な理由のある場合でも、全て受付さえしないというものである。
 これは国民の重要な権利を侵害する行為であり国の行為として許されるべき行為ではない。
 社会保険審査官及び社会保険審査会法及び行政不服審査法の目的を考えた場合、不服を認めるべき理由がある可能性が少しでもあれば、これを入口から閉ざしてしまうことは、上記両法の趣旨・目的を没却せしめることとなり到底許されることではない。
 不服を認めるべき明らかな理由がある事案の存在については、既に述べたが、その事案の理由が、認めるべき理由であるかどうかは、審理してみないと分からないのであるから、これを審理もせず門前払いすることは違法であると原告は主張しているのである。
 この違法を改めるのに、「本題」のように法律の改正は要しない。従来、単なる事実行為として却下しており、教示もしなかったのであるが、これを含め教示を実施して、窓口を統一するだけのことである。

 2 原審は明らかに公平性に欠けることについて
 以上の原審裁判官の判断は、明らかに公平の原則に立っていない。これは、司法の独立を自ら放棄したに等しく、「百害あって一利なし」の行為である。
 裁判所が、「本題」について、国を庇うのは、善悪は別として、何らかの意義があるかもしれない。しかし、入口論について国を庇っても、害にこそなれ、国にとっても何の有益性もないことである。
 原告は、本訴を提起するに当っては、民衆訴訟の可否についても検討したが、それが無理であったので、国家賠償法の形を採ったまでのことで、本訴の本当の目的は、国に行政不服審査法の適正な運営を求めるものである。従って、特に公平な判断を求めるものである。
 これは、当たり前のことであるが、原審では守られなかったことであるので、控訴審においては、法に則り、客観的に公平に判断していただきたい。

3 国は支分権消滅時効に係る提訴を容易に防げたことについて
(1) 国は基本権の時効を援用しないと決めた時に遡及支払いについて支給制限を定めるべきであったことについて
 国が、障害年金の支分権について、無制限支給を適当でないと考えるのであれば、基本権について消滅時効を援用しないと決めた時に、遡及支給の場合の支分権については支給制限をすべきであった。それは容易にできることであったと思われるので、それをしなかった責任は国が負わなければならない。

(2) 「本題」に係る問題の本質について
 「本題」については、本訴とは直接関係しない事柄ではあるが、大きな関係を持つ事柄であるので、簡潔に説明する。
「本題」は、障害年金の支分権消滅時効の問題である。従って、支分権は、一定の支払期月の到来によって発生するものとされているので、初診日も確定していない裁定前に支分権に係る時効消滅の要件事実は存在しない。要件事実さえ存在しないのであるから、これは、消滅時効の問題ではない。
 しかし、ほとんどの関係者が、裁定が遅れた場合にも、満額(無制限)支給をすることは適当でないと考えている。被告国もほとんどの裁判官も同じである。
 訴訟では、時効の完成の成否が争われることとなるので、ほとんどの裁判官が上記の満額(無制限)支給を否定する考え方から、結論ありきの判決を下す。
 被告の主張を認めた形にはなっているが、裁定さえすれば支分権は行使できる等といった明らかに事実と異なる無理な判決理由を強行し、事実誤認や判断誤りが見られる。
 なぜ、無理が生じるかというと、「本題」の本質は消滅時効の問題ではなく、遡及請求が認められた場合のあるべき支給期間の問題であるからである。
 現在、国年法第18(厚年法第36)条1項には、「年金給付の支給は、これを支給すべき事由が生じた日の属する月の翌月から始め、権利が消滅した日の属する月で終るものとする。」と定められている。
 この規定からは、遡及請求が認められれば、当然に満額支給となる。
 しかし、この問題を考えるとき、国が基本権の時効援用権を放棄していることを見逃してはならない。
 国は、裁判において、これを公にしていないので、ほとんどの裁判官が、別の無理な判決理由を述べて国を勝たせているのである。
 国が時効援用権を放棄していることとの調整は合理的で納得できる事柄であるので、これに反対する国会議員は一人もいないものと思われる。立法の障碍になる事柄ではなかったのにも拘わらず、これをしなかったのは、受給権者ではなく国自身である。当然、これをしなかった不都合を受給権者に負わせてはならない。
 上記の調整は、国年法第18(厚年法第36)条1項にただし書を設け、「ただし、年金を遡って支給する場合は、遡及10(又は20)年間分を限度とする。」と法律を一部変更しておれば何の問題も起こらなかったことである。

第4 本題について「決着がついた」との論評は正解でないことについて
 平成29年10月17日最高裁判決(44号判決)が出されたことによって、障害年金の支分権消滅時効が裁定前に完成しているかどうかの問題(「本題」)については「決着がついた」と論評する弁護士もいるようであるが、未だ決着はついていない。
 第一、この判決は、「裁定前に時効消滅することがある」と判示しているが、当然のこととして、「全てのケースで裁定前に時効消滅している」と判示しているわけではない。
 この判決は、平成7年最高裁判決(212号判決)を改変引用している等として、訴追請求状が提出されており、その訴追請求状の内容は当を得ている。
かつ、今なお、多数の係争中の裁判があり、その中で、被告の主張の推論の出発点となる民法第166条1項の「権利を行使することができる時」の解釈が誤っていたと主張されており、これに対する反論が出されていない現状にある。

 参考までに、「本題」に関する運用に係る違法について簡記する。

1 年金法にも会計法にも権利行使できない権利を時効消滅させるなどといった法の趣旨はないのであるが、基本権に対する権利不行使を支分権に対する権利不行使があったとして取扱っている。

 裁定請求は、いつまでに行わなければならないという期限はなく支分権は支払期月の到来により発生するとされているので、そもそも、裁定請求遅れは、支分権に対する権利行使又は権利不行使とは無関係である。(但し、この場合の支払期月の具体的解釈については、原告と国では異なっている。)

 基本権と支分権は独立した権利(青谷和夫論文)であり、被告国もそれ自体は認めているので、この権利の混同は明らかに違法である。

 被告国は、上記の権利の混同を正当なものであると根拠付けるため、民法第166条1項の「権利を行使することができる時」の解釈を、「債権が成立した時」としているが、これについては平成の時代まで、原告側も誰一人として反論できなくて、この解釈を認めてきていたところであるが、最近になって、この解釈が間違っていることが判明した。正解は、国年法第18条3項が、期限の定めをした規定であること等から、「期限の到来時」又は「条件成就時」であるので、被告国の主張する権利の混同は論理に飛躍のあることが判明した。従って、本件支分権は、裁定前には、期限未到来の債権であり、条件未成就の債権である。

 支分権の支払期月は、国年法第18条(厚年法第36条)3項但し書であり、具体的なその支払期月は、裁定のあった日の属する月の翌月の一つである。

 障害年金の裁定請求には、初診日を証明できる書類及び診断書の提出義務があり、これは法定条件であるので、裁定前には条件未成就の債権である。

 「法定条件も条件の規定が類推適用される」という主張事実が無視されている。

 以上重要な部分のみを抜粋して述べたが、これらの事情だけからでも国の運用が違法であることが証明されている 。

 なお、被告国は、障害年金についても、裁定請求さえすれば、支分権に結び付くと主張しているが、年金事務所の取扱い誤りによって、初診日が特定されていないから受付けできない(障害年金キットが用意されるまでは、ほとんどの場合、請求様式さえ渡されていなかった)とか、障害等級認定における裁量によって棄却されている事実は顕著な事実であるので、国の主張は事実とは異なる。障害等級認定基準には、多くのカ所で、「総合判断」が規定されているので、裁定に裁量権のあることは明らかであるが、被告国は、こと、消滅時効については、裁定請求さえすれば給付に結び付くと主張するために、裁定に裁量権はないと主張し続けている。
                                  以上
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2020年03月14日

入口論における控訴理由書の公開について A/B


第2 判決理由の前提事実さえ誤認している原審の違法について
1 原審が判決理由の前提事実とした違法部分について

 原審は、推論の前提を誤っているので、当然にその結果である判決を誤った。
 原審は、誤った前提を、「当事者間に争いがないか当裁判所に顕著な事実である。」(判決書2頁)として、これが正しいことを前提として推論を進めたので、誤った判決が導き出されたのである。
 先ずは、2点ある前提事実の誤り部分を挙げる。

 1つ目の誤りカ所
 「支分権は、基本権たる年金受給権に基づき、基本権の発生日の属する月の翌月から発生する。」(下線は引用者、判決書4頁下から8行目〜同下から7行目)

 2つ目の誤りカ所
 「同法31条1項後段により、その消滅時効については時効の援用を要せず、また、時効の利益を放棄することもできず、時効消滅の効果は絶対的に生じるものとされていた。」(下線は引用者、判決書5頁4行目〜同7行目)

 2 上記が誤っている理由
 次に、この前提の誤りの理由を明らかにする。
 1つ目の誤りカ所について
 支分権は、基本権の発生により当然に発生するものではなく、被告の主張によっても、一定の支払期月の到来によって発生(「有効になる」とした方が正確かもしれない、被告の表現では、「一定の支払期限の到来によって具体化し、成立するものである」(判決7頁8行目))するものである。
 ただし、一定の支払期月については、有力な文献等においても、双方に隔たりがある。原告は、例えば、国年法でいえば、第18条3項ただし書と考えているが、被告は、原則的な各支払期月と考えている。
 いずれにしても、一定の支払期が到来しないと支分権は行使できない。これは本題に係る問題となってしまうが、被告は、基本権に対する権利不行使(裁定請求遅れ)を支分権に対する権利不行使とみなすため民法第166条1項の「権利を行使することができる時」の解釈を「債権成立の時」としている。被告のこの推論の出発点となる同法同条の解釈が、誤っていたのであるから、この解釈誤りにより、被告の裁定前に支分権の消滅時効が完成する旨の主張は崩壊した。
 同じことに対して、異なる視点から考察する。
 障害年金の裁定請求では、受給権者が初診日を証する書類の提出義務がある。この書類を提出しても、その書類が証する年月日が初診日となるとは限らない。相当因果関係のある病名等で、その前に医師の診断を受けておれば初診日は、前へ前へと移動(甲第33号証)させられる。この判断は微妙で、初診日の決定権は被告にある。
 従って、裁定前には初診日が決っていないので、一定の支払期月も決まっておらず、裁定前に障害年金の支分権消滅時効が完成することはない。

 2つ目の誤りカ所について
 時効の援用は、どんな場合であっても、消滅時効が完成して初めて問題になる事柄であり、未だ時効消滅していない本件異議申立て事件、又は、時効消滅していないと主張している「本件異議申立て」については、「援用を要せず」の規定は、全く関係しない。
 従って、本件支分権は、会計法が適用されるからといって、順次自動的に消滅し、その効果が絶対的に生じることは絶対にあり得ない。
 原審のいっていることは、既に時効消滅している事案についていえることであり、原審は、本件事案を正解していない。

 3 論理法則にも経験則にも反する原審の判断
 原審は、本件異議申立て事件が、平成19年7月6日以前に基本権が発生した事案であるので、本件支分権の消滅時効については、改正後の国年法は適用されず、会計法が適用されるから、本件支分権の消滅時効の効果は、既述の前提条件により「上記消滅時効期間の経過という事実のみによって法律上当然に生ずるものであって、本件異議申立人の受給権(支分権)の消滅につき、「行政庁の処分」(求行審法6条)を観念する余地はないというべきである。」と判示し、従って、本件付記は、「単に本件異議申立人の平成20年9月以前の年金に係る受給権(支分権)が時効消滅したという行政庁としての認識を本件異議申立人に告知したものにすぎないと認めるのが相当である。」(同書10頁下から12行目〜同頁下から10行目)と誤った判決を下した。
 上記のとおり、時効の援用は、時効が完成してから初めて問題になる事柄である。本件では、未だ消滅時効が完成していない事案又は時効の完成の成否自体を争っている事案であるので、会計法第31条の「援用を要せず」の規定は全く関係しない。原審の解釈は、論理法則にも経験則にも反し、基本からして誤っている。
 「本題」については、原告は、そもそも、支分権の消滅時効はスタートさえしていないと主張しているところ、原審は、その判断を示さないどころか、スタートしていることを前提として諸々判示している。

 仮に、原審のいうように、会計法31条後段が適用される場合に時効消滅の効果は絶対的に生じる(下線は引用者、)とすれば、類似事件について、1件なりとも時効の完成が認められなかった判決はあり得ないこととなるが、現実には、多くの事件について、時効の完成が認められなかった事件が存在する。
 時効消滅の効果が絶対的であれば、どんな例外も許さず、時効消滅を認めなかった事件は1件たりとも存在しないこととなるが、現実はそうではないのであるから、原審の前提条件は、明らかに誤っている。

 これらの実例について、以下で掲載する。

【判例@】東京地判平成17年11月29日(判例集未搭載 日弁連高齢者・障害者権利支援センター編「障害年金ハンドブック」282頁民事法研究会 平成30年)

【判例A】東京高裁平成22年2月18日判決(判例時報2111号12頁、「賃金と社会保障」1524号39頁)

【判例B】神戸地裁平成23年1月12日判決(「賃金と社会保障」1540号41頁

【判例C】名古屋高裁平成24年4月20日 障害基礎年金支給請求控訴事件(甲第1号証)

【判例D】最高裁第二小法廷平成26年5月19日 上記の上告受理申立て事件(甲第2号証)

【判例E】大阪地判平成26年5月29日「賃金と社会保障」1619号15頁

【判例F】大阪高判平成28年7月7日「賃金と社会保障」1675号24頁

【判例G】名古屋高判平成29年11月30日「賃金と社会保障」1704号54頁

【判例H】最判平成19年2月6日民集61-1-122判例時報1964号30頁
(在ブラジル被爆者健康管理手当等請求事件)

【判例I】東京地判平成21年1月16日公務扶助料不支給処分取消請求事件(甲第34号証)


 時効消滅を認めなかったこれらの判決が存在することは、支分権の時効が、会計法が適用されるから絶対的に消滅するものではないことの証左であり、原審の前提が誤っていたことを証明する事実である。残念なことではあるが、年金時効問題に係る裁判では、多くの類似の誤判決が散見される。
 明白な誤判断については、原審のような会計法の解釈誤りと、時効特例法との整合性の点であるが、慎重な裁判官は、これらの過ちを犯していない。
ところが、この2点については、多くの裁判官が明らかな点で誤った判断をしているのが現状である。
 従って、原審の前提条件は前者の典型的な誤りの一つであり、本件には適用できない。

 4 原審があってはならないコピペ判決の典型であることについて
 裁判所の判断は、極めて重要で影響力が大きいので、多くの書物が「「コピペ判決」の横行」を戒めている。近著「裁判官も人である 良心と組織の狭間で」(岩瀬達哉:ジャーナリスト著)においても指摘されている。
 この書物は、「ニッポンの裁判」(瀬木比呂志著)と比べれば、裁判官に好意的な見方をしているが、それでも、「本来、判決文は、裁判官が「記録をよく読み、よく考え、証拠に照らして的確な判断を下さなければ書けない」ものだ。これを「普通の事務」のように処理することを可能にしているのが判例検索ソフトである。」(92頁左から4列目〜同頁左から1列目)、「最高裁事務総局に勤務経験のある元裁判官は、ため息交じりにこう語った。「若手、中堅を問わず少なからぬ裁判官は、裁判を重大と感じる度合いが薄れていて、判決の理論構成も水準が落ちている。もっと時間をかけ、深みのあるものに仕上げてもらいたいと思うこともしばしばです。」」(同頁左から8列目〜同頁左から6列目)
 原審を読めば、「記録をよく読み、よく考え、証拠に照らして的確な判断」を下してないことは、歴減としており、「裁判官が、裁判を重大と感じる度合いが薄れていて、判決の理論構成も水準が落ちている」こと間違いなしである。
B/Bに続く

posted by 326261(身にロクに無い:身に付いていない:電話番号!!) at 13:53| Comment(0) | 日記